(2021.8.25 Vatican News By Christopher Wells)
教皇フランシスコは25日の水曜恒例一般謁見で、聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」についての連続講話を続けられ、「偽善に繋がり、教会の一致を脅かす『形式尊重主義』」に陥らないように警告された。
教皇はまず、この聖パウロの手紙の「ヤコブから遣わされた人々が来ると、割礼を受けている者たちを恐れ、異邦人から離れていった」としてペトロを非難した箇所(2章11節以降参照)から、講話を始められた。
*初期教会の不当な分裂
教皇は、「ペトロは、ヤコブから遣わされた人々が来るまでは、律法の規定に反して、異邦人のキリスト教徒たちを一緒に食事をし、律法の掟の全てを守る義務が無い、としていたが、彼らが来ると、掟は全て守らねばならないと信じていたユダヤ人キリスト教徒から非難されるのを恐れて、一緒の食事を止めてしまった。パウロは、こうしたペトロの行為は深刻な過ち、と考えました」とされ、なぜなら、「ペトロの”偽善的行い”が、発足して間もないキリスト教共同体に”不当な分裂”を引き起こしていたからです」と説かれた。
*偽善が真実への恐れを招く
そして、「偽善は、真実への恐れを招きます。『自分自身であるよりも、”(善人の)ふり”をする方がいい』という感情、それが、真実を公然と語る勇気を抑え込んでしまう。偽善は、”形式尊重主義”の下で人間同士の関係が成り立っているところにはびこるのです」と注意された。
さらに、「しかし、聖書には、”ふり”をするのを拒否する人が登場します」とされ、(旧約聖書の)マカバイ記にある、王によって命じられた肉を食べる”ふり”をして死を免れるよりも、それを拒否して名誉の死を甘受した、律法学者の一人で高齢のエレアザルの例(Ⅱ・6章18節以降参照)を挙げられる一方で、「新約聖書では、イエスが、外見は正しいように思われても、心の内は悪意に満ちている”偽善者”たちをしばしば非難する場面があります」とも語られた。
*「はい」という言葉が、「はい」を意味するように
また、教皇は、「偽善者は、顔を覆い隠して生きている。真実に立ち向かう勇気がないので、”ふり”をし、人にお世辞を言い、欺きます」とし、「彼らは、人を本当に愛することができません。偽善は、職場や政治の場など、どこにでも見られますが、教会における偽善は特に忌まわしい」と教会で見られる傾向を強く批判された。
そして、「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい」(マタイ福音書5章37節)というイエスの言葉を思い起こされ、「そして、イエスはこう言われましたー『それ以上のことは、悪から生じるのだ』と」と語られ、「『それ以上のこと』で行動することは、教会の一致ー主ご自身が祈られた一致ーを危うくすることを意味します」と強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)