教皇レオ14世は25日の水曜恒例一般謁見で、「イエス・キリスト、私たちの希望」の連続講話を続けられ、今回は、マルコ福音書に記された「イエスへの信仰を持つことの癒しの力」を明らかにする二つの奇跡について考察された。
最初の奇跡は、社会から汚れた存在として敬遠される病気で苦しんでいた女性が、イエスには自分を癒す力があると信じ、群衆の中でイエスに触れようと手を伸ばし、その信仰のゆえにイエスは彼女を癒されこと。イエスは彼女に、「安心して行きなさい」と言われた。
そして二つ目の奇跡は、「娘が死んだ」という知らせを受け、心を痛める父親の願いに応え、イエスは少女を死からよみがえらせたこと。イエスは、父親に 「恐れるな、ただ信仰を持ちなさい 」と言われ、彼の家に行き、皆が泣き叫んでいるのを見て、「その子は死んでいるのではなく、眠っているのだ 」と言われた。
教皇は、「この2つのエピソードは、私たちが信頼と信仰をもって主に向かうとき、主の能力を超えるものは他にないことを明らかにしています」とされ、「イエスの行為は、主があらゆる病を癒すだけでなく、死からも目覚めさせることを示しています… 永遠の生命である神にとって、肉体の死は眠りのようなもの。真の死とは、魂の死であり、私たちはこれを恐れなければなりません」と説かれた。
また教皇は、イエスが少女を生き返らせた後、彼女の両親に「何か食べ物を与えるように」と言われたことを取り上げ、「これは、イエスが私たちの人間性と親密であることのもう一つの具体的なしるしです… このことは私たちに深い意味での理解を可能にし、私たち自身に問いかけさせるもの。もし私たち自身が福音によって養われていないなら、どうすればよいのでしょうか」と問いかけられた。
そして、教皇はそれぞれの奇跡を振り返り、悲惨な状況を解決するために、神への信仰を邪魔するものを許容されなかったことを強調。「時として、私たちはそれに気づきませんが、密かに、そして実際に、恵みが私たちに届き、私たちの人生を内側からゆっくりと変えていくのです 」と語られた。さらに、「おそらく今日も、多くの人々がイエスの力を心から信じることなく、表面的な方法でイエスに近づいているでしょう。私たちは教会の”表面”を歩いているが、心は別のところにあるのかもしれません」と信者たちに注意を促された。
教皇は講話の締めくくりとして、この福音書の二つの記述は、「イエスにとって、癒すことができないほど大きな傷や苦しみは何もないこと、そして私たちはイエスのもとに行くことで、イエスから新しくされることを示しています」と強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)