Pope Leo XIV holds his first General Audience in St. Peter’s Square (@Vatican Media)
(2025.5.21 Vatican News Kielce Gussie)
教皇レオ14世が21日、初の水曜恒例の一般謁見を行い、故教皇フランシスコがなさっていた「キリスト、私たちの希望」をテーマとする連続講話を引き継がれ、イエスの「種をまく人」のたとえ話(マタイ福音書13章1-17節参照)をもとに、「神は、私たちが最良の土になるのを待ってはくださらない 」と強調された。
教皇はまず、イエスのたとえ話を引用する形の「キリスト、私たちの希望」の連続講話を引き継がれた理由について、「神が歴史の中でどのように行動されるかを示しており、私たちが希望を再発見する助けとなるからです 」と説明。
そのうえで、ご自身による第一回目の連続講話では、イエスの「種をまく人」のたとえ話を取り上げ、「他のすべてのたとえ話への導入のような役割を果たす、かなりユニークなたとえ話です」とされたうえで、そこで語られている物語は、「イエスのコミュニケーションのあり方を明らかにし、今日の福音宣教のあり方に指針を与えてくれます」と指摘された。
たとえ話は日常生活から切り取られたものだが、「その目的は、より深いものを伝えることにある。私たちの内面に疑問を投げかけ、外見だけにとらわれないようにと促すのです」と説かれ、2つの質問を自分自身に対してするように勧められた—「自分はこのたとえ話の物語のどこにいるのか?」「この物語の中で私はどこにいるのか?」。
そして教皇は、「この種をまく人のたとえ話の中に、神の力とそれが私たちに与える影響を見ることができます」され、「福音の言葉はすべて、私たちの人生の土壌にまかれた種のようなもの。その土壌とは、私たちの心だけでなく、世界、共同体、教会も含みます。そして、福音に触れていない人生の側面はありません」と説かれた。
また、イエスのこのたとえ話を聴くために、さまざまな職業や背景を持つ人々が彼の周りに集まったが、それは、「イエスの言葉はすべての人のためにあるが、その働きは一人ひとり違う、ということを示しており、そのようにとらえることで、たとえ話をよりよく理解することができます。つまり、私たち一人ひとり、人生のどのような、様々に異なる状況にあっても、このたとえ話から何かを引き出すことができるのです」と強調された。
続けて教皇は、「種がどこに落ちるか、ということは、種蒔きにはほとんど関係ないように見えますが、実は、神が私たち一人一人をどのように愛しているかを象徴しているのです。私たちは物事を計算ずくで考え、計画することに慣れているが、愛はそのようなものではありません」とされた。
そして、「神は、御言葉の種をあらゆる種類の土壌に、つまり私たちのあらゆる状況に撒かれます。私たちがそれを熱意をもって受け取ろうと、表面的に受け取ろうと、恐れをもって受け取ろうと、神はある時点で、あるいは別の時点で、その種が実を結ぶことを信じておられるのです」と強調。「神は、私たちが最良の土壌になるのをお待ちになりません。お待ちにならず、何度も何度も私たちに御言葉を与えてくださいます」と付け加えられた。
また教皇は、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画『夕暮れの種まく人』を取り上げ、「印象的なのは、種をまく人の後ろに、ゴッホがすでに熟した穀物を描いていたことです。これは、何らかの形で『種が実を結んだ』という希望のイメージ。そして、絵の中央には、種をまく人ではなく、太陽が描かれているが、「これは、神は、時には遠くに、あるいは隠れているように見えても、歴史を動かしておられることを、思い起こさせます 」と指摘。
レオ14世は、講話の最後にラテン語で主の祈りを唱える前に、前任者フランシスコ教皇の逝去から1か月を振り返られ、「ちょうど一か月前に『私たちの父なる神の家』に帰られた、私たちの愛する教皇フランシスコを感謝の念をもって思い起こすことなしに、私たちの出会いを締めくくることはできません」と語られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)