Sr阿部のバンコク通信②

お坊さまとのふれあい

朝早くバンコクの街中に出ると、何とも素敵な光景を目にします。くすんだ橙色の袈裟を身にまとった僧侶達が裸足で托鉢、人々が跪座し、時に履物を脱いで捧げ物をしている姿です。 僧侶は御仏からの祝福とご慈悲を祈り、人々は感謝の思いを込めて合掌。社会の只中に見えない心の世界が確かに活きていて、人間の畏敬の念の営みが、違和感ないどころか、美しい、とさえ感じます。

タイに派遣されて間もないある朝、いつものように6時の朝ミサに与るため、ロザリオを繰りながら急ぎ足で教会に向かう私を、僧侶が呼び止めました。請われるままに鉢の上にロザリオを捧げました。後日、招かれて、姉妹達とお寺を訪問、おぼつかないタイ語で会話。米系のスリー・エムに勤めていたが、弟とは違い、世の富には興味なく、僧侶の道を志した事など。子供のように単純で輝く目で、「私達は道を究める者同士だ」と、うれしそうに話してくれました。

タイは仏教徒が94%他ヒンズー教、イスラム教、シーク教、儒教、キリスト教が1%弱の信仰の国。目に見えない霊界を感じるる社会で、『私は無宗教』との答えに『神様信じないでどうやって生きて行けるの?』と 反応され、信仰を誇りにし安心して生きる社会です。

(阿部羊子=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2016年9月18日 | カテゴリー :

Sr阿部バンコク通信!①

160802Sr阿部高度成長目指し高層ビルが林のように立ち並ぶ谷間に、日本人修道女ひとり、志は大きく、タイ中を駆け巡りながら、22年目のささやかな宣教人生を歩んでいます。
ここにも小さな日本人のカトリック信仰共同体があります。観光客を除く登録された日本人だけでも3万余、在住日本人以外は駐在員、2年から長くて6年、常駐の日本人司祭もおられず、建物もありませんが、主を信じる者の集いとして、しっかりと受け継がれています。どこに、何人いるのか?タイ在住の日本人カトリック信徒の全実態はわかりません。流れる川のように、親しくなっては別れの、短い関わりです。でも同じ信仰で結ばれた実感、タイでの旅する信仰共同体の思い出を胸に、その後のそれぞれの場所で生きておられると思います。
年に2回程、来泰される神父様にお願いしてミサと赦しの秘跡をいただき、バンコク近辺から集まる旅する巡礼者の「これこそ教会」の集いがあります。

うれしい事に、求道者との思いがけない出会いがあります。お互いの都合を調整して信仰入門、イエス様の教えの手ほどきをしています。教会の庭、求道者のお宅、閉店後のパウロ書院、赤子をあやしながら…どんな所も信仰の学舎。自分の勤めの隙を縫い、休みの日を利用し、この22年の間に多くの人々が洗礼の恵みに浴しました。理屈だけでは説得力なし、私の信仰生活を深く根のあるものにする機会となっています。

以上、第1報は、離合集散の人の世にあって確かな方に結ばれた小さなバンコクの日本人・カトリック共同体の紹介でした。(阿部羊子=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2016年8月31日 | カテゴリー :