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Sr 阿部のバンコク通信 ⑮故プーミポン国王を振り返って
プ ーミポン国王様の喪に服して1年、 国を挙げて準備した葬儀の会場は、実に真心のこもった、 タイの芸術と技術を駆使した式場でした。葬儀が滞りなく行われた後、会場の説明、 作業工程の詳しい説明を加えて市民に展示公開されたので、私もバンコク教区の希望者に加わって訪問しました。
ご遺体を安置した木彫の柩の見事な彫刻をを見て固唾を飲んでしま いました。
迎賓の参列した館には、 国王様の88年の歩み業績が展示されていました。 国民を愛し労わり尽くしたご生涯、これ程までに丁重で、 心のこもった埋葬の儀の理由が物語られ、国民の慕情、 尽きない感謝の念が溢れた会場でした。
王宮広場の会場は年内公開されるとの事、 日々訪れる人々の行列が絶えません。 人々の心と歴史に刻まれた慈父プーミポン国王の思いは、 後の世まで語り継がれることでしょう。愛と慈しみの思いと行動こそ平和と一致をもたらすことを心に明記 した訪問でした。
国民は喪服から普段の服装に戻り、 新国王の即位戴冠式に備えています。 誕生色は同じく黄色で街は明るい雰囲気です。
昨年は自粛した静かなクリスマスでしたが、今年はまた、 素敵な華やかな飾り付けで賑わうことでしょう。 仏教の常夏のタイで、 汗を流しながらで救い主のご降誕を祝う味わいも格別です。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr 阿部のバンコク通信 ⑭見えない主への信望愛を胸に、タイ国王の葬儀に参列
「臨終洗礼を授けてあげたいのですが、 方法を忘れてしまいました、教えて下さい」
急に様態が悪化し、 緊急入院したご主人に付き添う友人からの電話。 長年献身した夫への、心からの見送りをしたいとの友人の言葉に、 ご主人への熱い思いが伝わって来て、 幸せな方だな―と思いました。洗礼を授けた翌日召され、 安らかな神々しいご主人の最期、 安堵した友人の気持ちがメールに綴られていました。
タイの人々は一般に信心の業を大切にしています。 事あるごとにお寺にお参りして線香を炊き献花し、 仏像に金箔を貼って祈り、 跪座し合掌して僧侶に散水して祈ってもらう。 お布施と善行に励む姿、心から美しいと思います。
カトリック信徒も同様、「見えない恵の見えるしるし」である秘跡( ミサ、聖体、ゆるしの秘跡、洗礼他)、聖水を使い十字を切る、 ご像に触れて祈る、ロザリオ、十字架の道行、 他の信心の業に惜しみなく励む敬虔な姿、 敏感な感性に生かされた信仰に、少なからず感化されています。
新鮮な花が毎週美しく祭壇に飾られ、 人々の賛美と感謝の思いが生き生きしているのです。
見えない有難い存在への畏敬の念、 聖霊と悪霊の働きへの敏感な感性は、 物質文明が急速に発展する社会の救いであり、 決して魂抜きの社会にはさせまい、そう思います。
見えない主への信望愛の念を胸に、 感謝と賛美を感性で生き生きと現したい、 プーミポン国王陛下と友の葬儀に参列して心底思いました。(写真は、私の修道院前の聖ミカエル教会で、早朝からマリア様に祈りを捧げる若い人たち)
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr 阿部のバンコク通信 ⑬色々なタイの色―ラマ9世一周忌は黄色の花が街一杯に
タイ国には、曜日毎に決まった色があり、 異なる姿勢の仏像があります。日曜=赤、月曜=黄、火曜=桃、 水曜=緑、木曜=橙、金曜=水、土曜=紫。 自分の誕生色を身につけたり、 お寺にお参りして自分の曜日の仏様に祈る習慣があります。 故プーミポン国王様(ラマ9世)の誕生日は月曜日、 国民は一斉に黄色の服を着て、 在位70年間共に喜びお祝いしました。
逝去なされて一周忌、10月13日には国王様を偲び、 黄色のお花を街一杯に飾ります。 パウロ書院のあるセントルイス病院の庭も、 黄色のマリーゴールドで輝いています(右の写真)。 10月末まで国民は喪に服します。
ここ1年、人々は黒を纏って過ごして来ました。早朝から、 喪服正装でエメラルド寺院と呼ばれるワットプラケオ( 王様のお寺)に詣で、 何時間もかけて弔問を待つ長蛇の行列に連なる1年でした。
26日は国民の手作りの花を手向けて火葬の儀、 その後埋葬の儀が行われます。10月13 日から29 日まで一切のテレビ番組を中止し、 国王様の思い出の番組のみが放映されます。生涯国民を思い、 尽力された国王様を偲び、 国中が黄色の花で飾られた静かな祈りの雰囲気で過ごします。
『皆が一つであるように』と祈り、 ご自身を捧げられた師イエスの遺言を、 名実ともに生きられた国王様の天国への凱旋を確信しています。
私の誕生色は橙色。明るい橙の気持ちを身に付け、木曜日の仏『 左手を下にして手のひらを組み、右足を上に胡坐をかいて瞑想』 する気持を普段の姿勢にて生きて行きたい、 原稿を書きながらそう思っています。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr 阿部のバンコク通信 ⑫タイのカトリックのAIDS問題対策
タイ語を学んでいる頃、学校でイタリアの女性に会いました。 毎年休暇を貯めてエイズ患者のお世話に来て、 タイ語も学んでいるとか。 ソーニャさんを通しエイズに苦しむ人々との関わりが始まりました 。
当時は薬も高価、入手も至難の技。カミリアン病院修道会は『 命を賭しても』と決断し、蔓延するエイズと取組み始めました。 ソーニャさんに連れて行かれた駆け込み宿で、 特に子供達を救うために命懸けで奮闘しているジョバンニ神父に会 いました。インドから大量に薬を手に入れて務所入りした話、 薬さえ手に入れば保菌状態で命を保てるとか、 顔立ちの整った子供達の人身売買や売春が原因でファヤオ県のAI DS感染死亡率は高いとか、私はおかげでHIV- AIDSの問題に直に触れ、今に至る関わりを続けています。
その後、日本のカトリック中央協議会にHIV-AIDS 問題対策窓口を設けるため、スタディーツアー企画を依頼され、 一般、仏教界、教会内外の取組みを案内、 時宜を得たお世話が出来ました。『カミリアン病院の前をいつも拝んで通る』とある日本人、 相棒がAIDSに感染、どの病院からも断られた時、 受入親身に世話してくれたとのこと。
時に神学生やボランティアのお伴をしてAIDS ホスピスを訪問。殆どが患者、 ストレッチャーで運び込まれ患者が元気になって介護、 ホテルのシェフが食堂で腕を振るい、美味しいご馳走作り、 活き活きと明るい大家族なのです。
タイのカトリックのAIDS問題対策は、予防に始まり、 正しい認識、介護、患者の快復復帰に至るまで、隔離遮断せず、 温かい見守りの中で『慈愛の免疫力』 を高めながら行われています。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr 阿部のバンコク通信 ⑫タイの女子刑務所に定期訪問、受刑者の受洗も
タイ国には147 の刑務所があり、現在約320,000人が刑に服しています。 その内、麻薬に関わる罪過で逮捕さらた受刑者が85パーセント、 男性がその約3分の2 を占めています。友人司祭と信徒が刑務所を訪問していると知り、 私も数年前から参加しています。
刑務所では、ミサ、許しの秘跡、要理、聖書( レクツィオディヴィーナ)、体験の分かち合い等を行います。 現在はナコンラチャシーマ県の女子刑務所の1ヶ所に絞って月1度 参加。一昨年の復活祭には16人が受洗。 クリスマスや復活祭にはプレゼント、会食のために、 ご馳走を作って大鍋を持ち込むこともあります。 事前に申請し許可を受け、透明な袋に入れ、 全てが厳重な検査を受けての持ち込みです。 身分証明書を責任者のカテキスタを通し事前に提示し、 当日は3度の関所なるものを通過し、携帯、財布、 バッグ等は全てコインロッカーに置いて所内に入ります。
訪問先の女子刑務所は、タイ国のほぼ中央に位置し、バンコクから北へ220km。 車で3時間、面会時間に間に合うように早朝出発します。 10数年前から刑務所の訪問宣教をしているカテキスタが、 参加できる司祭と交渉し当日の準備。面会の日、 刑務所前で顔を合わせ、 パパ様のお勧めを胸に私の1日を捧げます。 この日を楽しみに待っている所内の友の顔が浮かんで来ます。 毎月、感謝のミサを共にするのが楽しみです。
「私が牢獄にいた時、あなたは訪ねてくれた」と言われたイエスの言葉に従って・・。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr阿部のバンコク通信 ⑪ タイ料理の良さとは・・「もったいない」の文化も
タイ料理の味を楽しめるようになって久しいのですが、未だに緑色の唐辛子の辛さにはお手上げです。薬草、香草をふんだんに使ってのタイ料理の調理方は多彩で、すこぶる美味。身体に優しく滋養にも富んでいます。タイ料理の味は懐かしい思い出のようで、人を誘う風味があるのです。
激辛、慣れないエキゾチックな味に親しめない私でも、懐かしくなる味わいを感じます。久しぶりに帰郷して炊事をすると、「味に幅が出たね」と言われ、「味にも人間の成熟同様、挑戦するほどに幅や奥行きが出て来るのか」と頷きました。
ところで、タイの食堂では食べきれずに残したものを、お願いすればタレや薬味まで付けて持ち帰れる様にしてくれるのです。ほんの少しのお菜でも、汁物でも、ご飯でも。お祝いの会食の時など、ケーキやワインの持ち込みも許してくれます。片や食料不足で餓死する人々がいる世界で、食べ残しを「もったいない」と持ち帰れるタイでの暮らし、実に嬉しく楽しいことです。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr阿部のバンコク通信 ⑩明日を思い煩わず、自由に今日を楽しむータイの国民性
ジリジリ燃える太陽の国、亜熱帯地方には原色で派手な色彩、奇抜なデザインが似合います。夫々に自分の好みの装いで賑わうバンコクの街中、地方では、各山岳民が特有の民族衣装で何の臆する事なく人々の中に入り混じって生活している様子、長年タイで生活していると頷かせられる大切な真実があるように思います。
周りの視線を気にしないで、自分自身で在る-居られるということでしょうか。タイ駐在の日本人が、当初は言葉や文化の違いで戸惑いながらも、干渉される視線から開放されて、パッと伸び伸び咲いている姿、嬉しく思います。
束縛されるのを嫌い、明日のことに思い煩わずに、自由に今日を楽しむタイ人、近隣の国々が植民地化しても属国化ぜずに、独裁者が政権を握るのを許さずにタイ国が今日に至った理由かもしれません。
信仰についても、自分が信奉する信仰を自由に表明して、お互いに敬意を払って生きていて信教の自由を感じます。日本の信者さんが憚りなく信仰を表明して生きている姿、何よりに思います。
暑いタイ国で、思いっきり汗流して心身の濁りを清め、パッとリセットして路肩の草花の様に咲いています。主に賛美と感謝!
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr阿部のバンコク通信 ⑨危機が好機にーカトリックの学校教育
カトリック学校が幼小中高大学とも、各地で頼もしく活躍していることも、仏教国タイで特筆したいことです。今から100余年も前に、フランスからガブリエル会、シャルトルパウロ会、ヴェテラン会、パリ外国宣教会などが来泰し、教育に貢献する修道者を育て、着実に福音の苗床を拡げていきました。
先日、バンコク市内にあるカトリックの総合病院のパウロ書院で、カトリック信徒で日本語の堪能なタイの方に出会いました。彼は、名門、チュラロンコン大学の日本語教授。 都心部にあるチュラロンコン大学はラマ六世国王陛下が設立した大学です。ラマ六世はタイに教育制度を敷き、大学を父君のラマ五世に捧げ、チュラロンコン大学と命名しました。タイが海外に学校設立の協力を求めたその頃、フランスは革命後の大変な状況にあり、教育に貢献する各修道会は新天地に進出、タイの要請にも応じました。「フランスの教育修道会にとって、危機が好機になった」というのが、教授の説明でした。
私が24年前、タイに派遣されたのは、タイ政府の宣教師数制限令があった頃です。宣教師は、宣教師ビザを社会福祉や教育ビザに切り替え、宣教師のいない県に分散を余儀なくされましたが、それによって、福音の種は国全体に撒かれるようになりました。これも、教会にとって、危機が好機に転じる出来事だったわけです。
ところで、私はくだんの教授から「カトリック用語説明の講義をしてくれませんか」と頼まれ、「願ってもない宣教の機会」と引き受けました。大学での 私の講義は、学生たちの興味と好奇の目の輝きと集中力から察して、うまくいったようです。講義そのものは、別々のクラスに二回だけで、多くの学生たちのほんの一部に接しただけだったのですが、学生たちの学ぶ気力に未来を感じ、嬉しく思いました。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr阿部のバンコク通信 ⑧全村民カトリックのカレン族ナキヤン村訪問!
タイ国北部には、異なった言語文化を持つ山岳民が住んでいます。カレン、モン、ラフ、アカ、ヤオ、リス族など、特徴ある服装や習慣を持ち奥地に集落を成して住んでいます。チェンマイ教区のカトリック人口(7万2千)の半数以上がカレン信徒です。天地の創造主を畏れ敬うラウダートシの精神を持つ独自の精霊信仰が、カトリックの信仰に導かれるのだと思います。
3月上旬、夙川教会の赤波江神父様の企画『タイ・山岳民族村訪問と教会巡礼の旅』で、全村民カトリックのカレン族ナキヤン村にカトリック青年•大学生達を同伴して入りました。
カレン民族は陸稲栽培を主に、家畜などを育てながら自給自足の生活を営み、大自然の恩恵の中で至極エコロジカルな生活をしています。
ナキヤン村の家族に1人ずつ迎えられ、衣食住を共にした青年達、臓腑がひっくり返ると言いたいほどの体験を、夕の祈りの後毎晩分かち合ったてくれました。村人と共に祈り、捧げるミサは、言語文化の違いを越えて心底結ばれる体験でした。毎日子供達と思いっきり遊び、家の手伝い、一緒にご飯を食べる… 、便利で豊かな日本から来て、必要最小限で不便な生活、しかしそこで幸福の醍醐味。満面の笑みと目の輝き、喜びが青年達の全身から溢れていました。『ここには幸せがある』青年達はそう言いました。
若者の柔軟さ、感性の鋭さ、あー連れて来てよかった、と思いました。大自然の懐で、主を敬い、人間同士だいじにし合って生きる…、村人と共に生きた思いを胸に、青年達キラキラ輝いて生きているでしょう。”Laudato Si”
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr阿部のバンコク通信 ⑦タイの「子供天国」、日本では・・
日本には以前、『子供天国』という言葉がありましたが、久しく聞いていません。明るく賑やかで、いのちの躍動を感じた子どもの頃を思い出します。タイに来てうれしい気持ちになったことの一つに、社会のただ中に子供達が喜々としていて、大事にされていることでした。家庭、社会、街のどこでも、子供は花形、特に小さい子供は注目の的です。
雑踏の中で子供に微笑みかけ、心を配る大人たち。電車やバスの中では誰もが障害者、妊婦、老人には勿論ですが、子供にも席を譲るのです。内心、「小さい子供にならともかく・・」と思うこともありましたが、それほど子供が中心の社会で、雑踏で押し潰されたり、邪魔扱いになることはまず無い。ぐずついた子供を抱え、母親が気まずい肩身の狭い思いも無用です。
子供連れの日本人のお母さんも、バンコクでは、「どこでも本当に可愛がってくれますね、うれしいです」と、子供を暖かく見守る微笑ましいタイ社会の良さを実感しています。安心して妊娠、子育出来る環境にほっとする日本人、私も、何よりのことと喜んでいます。
小さき者に心を配り、いたわる社会は、神様の思いを反映しているな、と感じます。見えない世界をとらえる感性が豊かで、人間同士の心の通い合いも素直だな、と思います。小さな子がうるさいから、と言って追い払おうとする弟子たちを諌めたイエスさまのお姿が、マルコ福音書にありますが、この点ではイエスさまに喜ばれるタイ社会の今です。
子供や、老人、病人、障害者を足手まといにしない社会には、神も仏も生き生きして、人もホッとする環境が生まれるのだと、改めて考えさせられる日々です。