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漆原JLMM事務局長の「共に生きるヒント」 ⑪「戦争は絶対ダメだ 」
今月上旬、福島県の双葉郡浪江町の方々の敬老会に参加しました。2011年3月の福島第一原発事故以来、故郷浪江町に戻れず避難している方々のコミュニティと関わってきましたが、今回はその6回目の敬老会でした。
最高齢のおじいさんは94歳。とてもお元気で軽やかな社交ダンスも披露してくださいました。「大東亜戦争にも行きましたよ」とご挨拶されたので、お話を聞かせていただきました。 兵隊として中国大陸へ、2年間従軍し仏印進駐の直前に病気のために九龍(香港)の野戦病院へ移り、その後帰国された、と当時の事をお話しくださいました。「あと数週間帰国が遅れたら、自分も仲間とともに戦死していたかもしれない」と眼に涙をうっすら浮かべながら語られました。
「戦争は、敗けても勝っても、どっちでも絶対ダメだ!」その言葉は体験者だからこそ語れる戦争の本質だと思います。あれから72年も経過しているのに、戦争体験はその方の心に深い傷を残したままのようです。どれだけ多くの年配の方々が同じような気持ちでおられるのかと思うと、今の世界の情勢、特に朝鮮半島をめぐる緊張状態もどのような見方をしたらよいかわかってきます。
いかなる理由であろうといったん度戦争が始まってしまえば、すべての人への破壊があるのみで勝ちも負けもないということでしょう。ですからどんな理由があろうと戦争を始めてはならない、ということを粘り強く主張し続けるしかないと思います。またいかなる理由であれ戦争を正当化させることはできないというスタンスを明確にすることが大切だと思います。
核武装に象徴される軍事力のバランスによって均衡を図ろうとする抑止論から脱却し、戦争やテロの原因となっている貧困や不平等に目を向け、支援・協力・連携の関係を構築していくことこそ戦争を止める道につながると思います。
『真の平和は相互の信頼の上にしか構築できない』とヨハネ23世は述べています。 先日9月19日の国連総会でのトランプ米大統領の「やむを得ない場合は北朝鮮を完全に破壊する」といったような威嚇や禁輸政策などのよる圧力では決して良い方向には進まないでしょう。かつて日本軍が仏印進駐後のアメリカによる禁輸政策で追い詰められて真珠湾攻撃を仕掛けてしまったように、いまこれ以上北朝鮮を追い詰めることは戦争を促すことにつながり、結果、関係国すべてに破壊がもたらされるだけだと思います。
追い詰めず、孤立させず、支援や協力の輪に取り込んでいく努力が平和をもたらすのだと思います。『戦争に訴えればそれは即敗北です。戦争に打ち勝つ唯一の方法は、決して戦争をしないことです』-教皇フランシスコ、2015年
(JLMM事務局長・漆原比呂志)
*JLMM は日本カトリック司教協議会公認団体、国際協力NGOセンター(J
JLMMでは毎年、派遣候補者を募集しています。賛助会員としてのご支援やご寄付をお願いいたします。またカンボジアスタディツアーやチャリティコンサートの企画、
漆原JLMM事務局長の「共に生きるヒント」 ⑩「共感力」
もう15年以上になりますが、毎年4、5回のペースでカンボジアのスタディツアーを企画しています。学生から年配の方まで現地にご案内し、カンボジアの歴史・文化・暮らしを学んだり、JLMMの支援活動にボランティア参加していただいています。
カンボジアにおける約30年間にわたる内戦について学ぶことは、現在のカンボジアの復興と発展、そして人びとの心を知るために不可欠な要素なので、プノンペンでのキリングフィールド、政治犯収容所跡地、シェムリアップの戦争博物館の3か所に毎回訪れています。
内戦やポルポト時代の歴史に少しでも触れる中で、戦争の恐ろしさ、愚かさと戦争が人間の人生や社会にどれだけ深いダメージを与えるかを感じる時間です。
ところがここ数年、大学生や高校生を戦争博物館にご案内すると、展示されている戦闘機、戦車、武器などにとても詳しい学生がいることに驚かされます。そして実際に内戦で使用された武器を手に取り、撃つまねごとをしたり、嬉々として写真撮影している姿には、とてつもない違和感を覚えてしまいました。
先日のツアーで一人の学生が興奮した様子で「僕、戦争大好きなんですよ!」と私に言いに来た時、私はついに自分の感情を抑えることができなくなりました。実際に人を何人も殺したはずの武器たちを目の前にして、平気でいられるどころか楽しんでいるその感覚とは何なのか。私はそこにいた学生全員に自分のいらだった気持ちややるせないような感情を分かち合いました。
話をよく聞いてみると、日常的にやっているオンラインゲームなどの「戦争ゲーム」の影響だとのこと。何種類もの武器がどのくらいの殺傷能力を持つかをゲームの機能としてよく覚えているというのです。ツアーの中で学生一人ひとりと話してみると、武器というものの見方が変わり、「武器をおもしろがり、かっこいいと思っていた今までの自分を恥ずかしいと思いました」と語ってくれる学生もいました。確かにゲーム上では、殺されたキャラクターの人生や残された家族のストーリーや感情などは全く無関係なのですから、そのような姿勢で戦争をとらえてしまうのも当然です。私は、そのような戦争ゲーム世代の学生たちを責めることもできないなと感じました。
バーチャルな世界から抜け出て、リアルな世界に触れることが必要で、戦争のリアリティについてもその時代を生きた人々の実際の体験に耳を傾け、自分なりに感じることが大切なのだとあらためて思いました。実際に人と出会い語りあうことを通して、現実をとらえることができるのだと思います。そして、もし自分だったどうなのだろうという、「共感するチカラ、能力」が問われているのだと思います。
だからこそいま、戦争を「仕方がない」とする層が多い日本社会の現状の中で、戦後72年を迎え、第二次世界大戦の体験者の方々が最後に語り残そうとされていることを心に刻み、2度と同じような過ちを繰り返さない選択をしていくことがとても重要なのだと思います。
(JLMM事務局長・漆原比呂志)
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漆原JLMM事務局長の「共に生きるヒント」⑨「神様が望むなら・・」
この4年間は毎年7月に、地元鎌倉大町の八雲神社のお祭りに参加させてもらっています。
「新羅三郎義光公が、住民の悪疫難儀を救うため京都の祇園社を勧請し、住民は難を逃れて安堵したという故事を記念し、感謝し、合わせて平和と繁栄を祈願する恒例の祭り」ということで、昼からお神輿を担ぎ、街を練り歩きます。私も白丁烏帽子姿となり、地元のメンバーとともにお神輿を担ぐことが毎年の夏の大きな楽しみです。
祭事中神様をお迎えし、お神輿にお乗りいただき、町内各地に出向いていただく」という神事です。町の人々が通りに出てきてお神輿をお迎えする様子は、いつもの風景とは全く違う、祈りの雰囲気に包まれています。そして新たなにつながる人と人が、皆で力をあわせ、息とリズムを合わせて神輿を担ぐ行為には何か深い霊的なものを感じます。
昼のお渡りと夜の神輿ぶりを合わせると、150人くらいの男たちが四社の神輿を担いでまわるのですが、その集団をまとめているのが、私の小中学校時代の同級生です。先日その彼と町で偶然会い、同じ方面の帰り道、祭りの話題になると彼はこう呟きました。 「今、自分がこうして祭りや神輿の世話係をやらせてもらっているのには、何か意味があると思うんだよ。神様が僕に、今これをやれって言っているような気がする・・・」
私はその言葉を聞いたとき、とても嬉しい気持ちになりました。なぜなら、これはキリスト教で言えば「ミッション」ということと同じだなと思ったからです。自分の意志や思いよりも、まず先に神様が自分にどのような使命や役割を望み、派遣されるのかという問いに応えようとすること。
宗教は違っても、長年人々によって祈り込められた神社という神聖な場所と、神事に加わる人々がスピリチュアルな存在を確かに感じさせているのかもしれない、と思いました。
私もまた、「神様」が望まれるならば、来年も担がせてもらいたいなと思っています。
(2017.7.25 JLMM 漆原比呂志 )
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JLMM 漆原比呂志
漆原JLMM事務局長の「ともに生きるヒント」 ⑧「貧しい人のための選択を超えて」
大学生時代の後半、私はIMCS-国際カトリック学生連盟アジアのメンバーとして、アジア各国のカトリック学生と出会い、各国のプログラムや会議に参加したり、合同で企画したりする機会に恵まれました。同じカトリック教会であっても、国が違えば活動がこんなに違うものかと大きなカルチャーショックを受けました。
その時出会った言葉に「Option for the poor(貧しい人のための選択)」があります。香港では学生たちが港の貧しい船上生活者の家族を訪ね、ベトナム難民キャンプの生活改善のためのアピールを街頭で行い、韓国やタイでも農村の生活困窮の家族や施設を訪ねたりする支援活動をあたりまえのように行っていました。私がそれまで体験してきた日本のカトリック学生の活動は、教会内部での交流が中心だったので、大いに刺激を受けました。教会の使命や役割として貧しい人のための選択、行動があるということを学びました。
カンボジアやフィリピン、タイの農村の教会を訪ねると、教会の中の活動と共に常に地域の社会活動があり、教会の「貧しい人への選択」というものを具体的に感じることができます。
その中心には比較的裕福な人がいて、活発に活動しているカトリック学生たちも国の状況からすれば大学まで進学できる余裕のある世帯の子どもといえます。
基本的には「裕福な人たちが貧しい人たちを見つけ、助ける」という姿勢、あり方なのであり、支援する側とされる側の間には明らかな立場の違いがあり、「別のものなのだ」という前提があるようです。こうしたあり方はこれまでの日本のみならずアジアの教会のスタンダードであり、いまだに推奨されているあり方のようにも見えます。
ところで、このようなあり方、関係性というものには、どこか居心地の悪い感じもあって、「ともに生きる」ためにはもう一歩、姿勢や関わり方を変え、教会自体もまた、変わっていくことが求められているのではないか、と思います。
教皇フランシスコは使徒的勧告「福音の喜び」の中で、「貧しい人を優先し選択する」という教会の伝統を強調しながらも、私たち教会自体が貧しくあれ、と述べています。「貧しい人のため、教会は貧しくあってほしいと思います」と。そして「私たちは皆、彼らから福音化されなければなりません」と続けています。
これは私たちの姿勢、あり方に根本的な変革を求めるメッセージです。これまで、自分や教会の領域の「外」にある貧しい人々との関わりだったものを、自分の領域の「中」に、しかも隅の方ではなく「歩みの中心に置く」という全く違うアプローチを求めています。
「ともに生きる」ということは人と人との何らかの関係性から始まるけれど、どこかの段階でその関係性を超えたときに実現するのかもしれないな、と思います。そのためにはまず、自分自身が変わることが求められているのだと感じます。
(2017.6.25 JLMM 漆原比呂志 )
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漆原JLMM事務局長・共に生きるヒント⑦「ともに踊れば 」
先日の5月15日は東ティモール独立15周年記念日でした。
私はその日、東京・四ツ谷で開催されていた「東ティモールフェスタ2017」で、東ティモール留学生やティモールで活動するNGOの人々と一緒に、ティモールのダンス「テベテベ」を踊っていました。手をつなぎ輪になってまわる、とてもシンプルで明るいダンスです。楽しく踊り続けながら、ティモールの学生たちや長年ティモールと関わってきた人たちの笑顔を眺めていると、じわりと何か特別な思いがこみ上げてきました。
「こうして楽しく踊れるってことは、実は、あたりまえのことじゃなかった。15年前の主権回復のさらに3年前までは、インドネシア支配下に置かれていたティモールでも、たとえ日本であっても、こんな風に、公の場でティモールの踊りを、堂々と楽しく踊れるなんて、あり得なかった」ということ。
1999年、まだ東ティモールが騒然としていた頃、現地で出会ったひとりの日本人神父が私に言いました。「ここでは今何もできないが、とにかくここにいることに意味がある。私たち外国人がここにいるだけで、暴力や略奪の抑止力になるから。たくさんの外国人の眼があることが大事なんだ!」
なるほど、ただここに存在しているというだけでも何かの役に立つこともあるんだな、と教えられました。しかしその後、独立か否かを問う住民投票の前後、東ティモール全土では併合派の民兵たちによってほとんどの建物が焼かれ、大勢の人びとが殺され、大混乱となりました。
主権回復の直ぐ後には、私たちが保健教育を行ってきたティモール島の北部のコムという地域で、コミュニティヘルスワーカー(村の保健ボランティア)の研修修了式があり、参加しました。修了式の後は地元の人々と賑やかなパーティーだったのですが、参加してびっくりしました。ほとんど休むことなく、明け方までひたすら一緒に踊るのです。海岸線にある集落だったので、私も砂浜で時々仮眠をとりながら、朝までおつきあいさせてもらいました。
このパワーはどこから来るのか・・・。くたくたになりながら考えました。
やはり、それまで24年間にわたるインドネシアの支配のもとで、傷つけられ苦しめられてきた経験、多くの人たちが森の中に隠れ、怯えながら不安の中で暮らしてきた、という背景があるのだと感じました。みんなで大地を踏みしめる伝統的なダンス「テベテベ」に、ひときわ大きく深い意味合いが、自由を取り戻しあふれ出る喜びが表現されているのだと思いました。
そこにいること、ともに手をつなぎ踊っていること・・・。ただそれだけのことが、そこで交わる人とほんのわずかでも苦しみや喜びを分かち合う時間につながっているのだと感じることができました。
(JLMM 漆原比呂志 2017年5月25日)
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漆原JLMM事務局長・共に生きるヒント⑥「 リバースミッション 」
レイミッショナリー(信徒宣教者)が派遣された地で学んだことを、その人の中だけに留めることなく、帰国した後に日本の社会、特に日本の教会を通して分かち合っていくことを「リバースミッション」と呼んでいます。
通常の場合、派遣地で働く時間よりも、帰国後の時間の方がはるかに長くなることを考えれば、この「リバースミッション」をどのように行っていくかということは、派遣地での働きと同様に、またはそれ以上に重要なことだと思います。それは帰国後の地域社会、職場、教会、友人関係、また身近なところでは家庭という様々な場面で行われます。
リバースミッションは、自分が派遣先で「いただいたこと」を送り出してくれたものに対して「返していく」というニュアンスで語られることが多いのですが、実はもっとダイナミックで広がりのある意味合いが含まれているように思います。
「ミッションは一方向ではなく、人と人の間に相方向に働くもの」とあるシスターから聞いたことがあります。確かに、神がイエスをキリストとして派遣したことを「ミッション(ミッシオ)」のもともとの意味だとすると、そのイエスから人々が派遣され、連綿と繰り返されて広がってきた派遣の動きの先に今の私たちがいると考えることもできます。神から出発した一本のミッションの線はイエスを通って、何本もの無数の線となり無数の人々を介してこの社会の中に広がっているというイメージを持つことができます。
そう考えると、ひとつの社会の中で私たちは「皆が派遣されている存在」なのであり、どこの誰との関係であっても「お互いのために派遣されている関係」なのかもしれないなと思います。そしてより人間的な社会の実現に向けて、「お互いに派遣しあう」という意識を持つこともできると思います。(2017年4月25日)
***JLMMについて***
JLMM は日本カトリック司教協議会公認団体、国際協力NGOセンター(J ANIC)正会員で、主にアジア・太平洋地域にレイミッショナリー(信徒宣教者) を派遣しています。派遣されるレイミッショナリーは、 派遣地において関わる人々とともに喜びや悲しみを分かち合い、地域の人々に向けたこどもの教育、衛生教育、栄養改善、 女性の自立支援などの活動を実施しています。1982年の設立以降、アジア・太平洋、アフリカ諸国16か国に 100名以上のレイミッショナリーを派遣されました。現在はカンボジアと東ティモールに3名を派遣しています。
JLMMでは毎年、派遣候補者を募集しています。賛助会員としてのご支援やご寄付をお願いいたします。またカンボジアスタディツアーやチャリティコンサートの企画、 活動報告会やカンボジアハンディクラフト販売にご協力いただけるグループや教会を募集しております。事務局(jlmm@jade.dti.ne.jp) までお問い合わせください。
漆原JLMM事務局長・共に生きるヒント ⑤住民のチカラで
カンボジアの首都プノンペン郊外のステンミエンチャイ地区には街中のゴミが集められ、捨てられてできた巨大なゴミ山がありました。そのゴミの中から有価物を収拾し現金化して生活している人々の集落があり、私たちJLMMもその村人たちと20年ほど関わりを続けています。
集落には簡素な掘っ立て小屋のような家屋がひしめき合っています。電気・水道・ガスもなく、カンボジアの平均的な水準からみても衛生的にかなり劣悪な環境です。特に雨期になると足元が泥とゴミでぬかるんでいて、歩いて通るのも一苦労です。
この集落の突き当りに、これまた簡素なトイレがあるのですが、それはここの住民にとって自慢のトイレです。
もともとこの集落にはトイレというものは存在しませんでした。どこか近くの野原のような空き地で用を足すのが一般的な生活です。そのような環境の中で、集落に共同のトイレがあり、利用されているということは大変珍しく、また嬉しい光景です。
トイレの設置と利用は、トイレがない地域の住民にとってはとても難しいことなのです。東ティモールのケースですが、10年ほど前に村落をまわり、トイレの設置や利用状況について調査したことがあります。そこで見て驚いたのは、国連機関や大手のNGOが設置したトイレのほとんど、おそらく7割以上が全く使用されていなかったことでした。トイレを見せてもらうと、鳥小屋になっていたり、農機具の倉庫となっていたり、ゴミ捨て場として使われていました。誰かがカギをかけて自由に使えなくなっているトイレもありました。
要するに、「トイレが必要だ」と思っているのは支援する団体側のみであり、住民はその必要性を全く感じていないということなのです。理屈では理解できるし、タダで作ってもらえるなら作っても良いよ、という程度のモチベーションなので、使わないし、故障しても誰も修理しようとは思いません。東ティモールでは、その後6カ月間毎日スタッフが村に通い、トイレの必要性を住民が実感するのを促し、住民自身の手によってトイレを設置するのをサポートするというプロジェクト(CLTS=「コミュニティ主導による全村的衛生普及活動」)を始め、いまも住民たちはトイレを大切に使用しています。
カンボジア・ステンミエンチャイの集落のこのトイレも、住民同士で話し合い、お金を出し合って共同で管理しています。住民自身が、自分たちの生活のため、つまり病気を予防し衛生的な環境の中で健康で安全な生活をおくるために、自分たちで決め、自分たちのチカラで暮らしをより良く変えていくということが大切なのだと思います。私たちはそのためのお手伝いができればと思います。
(2017年3月25日)
***JLMMについて***
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漆原JLMM事務局長の共に生きるヒント ④「本音を伝えあうこと」
東日本大震災からもうすぐ6年。
発生が2011年の3月11日、被災地では16日に「仙台教区サポートセンター」の設立が決定し、私もJLMMのスタッフとともに19日に仙台に入り、センターの立ち上げやニーズの調査をお手伝いさせていただきました。その時からほぼ毎月仙台に通い、その後活動の中心が福島に移ってからも月2回ぐらいは東北の被災地での活動を続けさせていただいています。
一昨日は仙台を訪ね、サポートセンターの6年前の設立時のスタッフが集合し、発災直後から支援活動を開始するまでの様々な動きを振り返りました。その中から教訓を引き出し、今後起こりうる災害時に支援活動を立ち上げる際に活かすためです。
思い起こせばセンター立ち上げの時期は電話は鳴りっぱなし、昼夜問わず全国から駆けつけてくるボランティア希望者の対応に追われ、私たちスタッフも10日間全く風呂にも入れない状況でした。
街にガソリン、食料、物資が不足し、インフラも壊滅的な状況下にありながら、みんなで精いっぱい力を合わせて支援活動に取り組んだことがあらためて思い起こされました。その一方で、スタッフの中にも6年経った今だから話せる、聞けるといったこともありました。確かに、目まぐるしく変化する日々の状況や緊急事態の中での特殊な精神状態の中では気づかない、意識できない、表現できない感情や思いというものがあったはずです。
被災者、避難者の方々とお話をしていても、震災以降もう4、5年以上のお付き合いをさせていただいている方々からも今になってようやくうかがうことのできるお話というものがあります。人間関係がつくれた後だからうかがえるということもありますし、その方の心の痛みや苦しさが意識化され言葉になり、表現されるまでに長い時間が必要なこともあるのだと思います。
私自身にも今、支援する側の人間としての反省が心の中で沸き起こってきました。6年前、被災地支援の拠点づくりのために、被災地各地の教会の建物を拝借して事務所にしたり支援物資を保管したりボランティアの宿泊スペースにさせてもらったのですが、その時の地元の教会の人たちの気持ちはどうだったのだろうか。かなり我慢をさせてしまったはずだ、という思い。サポートセンターが設置された元寺小路教会の建物の中を「安全靴でガチャガチャと音を立てながら走り回っていた自分が、地元の教会の方にとってはご迷惑だったかも知れず、申し訳なかった」と、元寺小路教会の信徒の方に、今回初めてお伝えすることができました。
今までうっすらと、しかし消えることのなかった思いを、6年経ってやっとお話できました。
そして、被災地で支援を受け入れる側の方々が、実際には当時どのような思いでおられたのかを伺い、多くの方々から提案を聞かせていただきました。これも6年経った今だから聞ける話かもしれません。同時に、被災された方々が自分たちの気持ち、不満、苦情や要望を伝えられるような環境やムードを、私たちがつくり、促していたか。そもそも支援する者が、積極的にお聞きする姿勢や態度でいたのかを振り返り、反省したいと思いました。
これからも、支援する側、される側という関係を超えられない場面でこそ、対等な関係を目指していきたいと思います。(2017年2月26日)
(漆原比呂志=うるしばら・ひろし=日本カトリック信徒宣教者会(JLMM)事務局長)
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漆原JLMM事務局長の生きるヒント③カンボジアで奉仕する母「ただ隣人でありたい」
母は、もうかれこれ10年ほどカンボジアのシェムリアップに住み、現地でボランティア活動を続けています。
約10年前、高校の教員だった父が定年退職を目前に第2の人生をどう送るか、私に相談してきたことがありました。私はすかさず、「カンボジアのシェムリアップに夫婦で移住して自由にのびのび好きなことをしたらいいよ」と提案しました。すると、あっという間にことが運び、2006年からカンボジアへ渡り、ご近所のお坊さんや子どもたちに日本語を教えたり、日本の友人たちの協力を得て農村の学生のための奨学金プログラムなど、ボランティア活動を始めました。
私も年に何度もシェムリアップで両親に会ってきましたが、水を得た魚のように生き生きし、カンボジアの方々との関わりの中で、今までの自分のあらゆる常識や考え方を変えさせられていくことが楽しくてたまらない、という感じでした。そんな両親の姿を見るのが、私にとっての楽しみでもありました。
2013年夏、父がシェムリアップで病に倒れ、隣国タイのバンコクの病院に緊急搬送されるも意識が戻らず、帰天しました。最後まで好きなことを追求した素敵な人生でした。
母はその直後から、日本に帰国する気は全くなく、そのまま「カンボジアに帰りたい」と望むまま、今も現地で元気に暮らしています。
現地のカンボジア人や日本人の仲間に助けられ、公立の小学校や幼稚園で音楽や図工、絵画などの授業を手伝っています。私はよく母の知り合いから「お母様は偉いわね」などと言われてしまうのですが、決してそんなことはなく、「現地のみなさんに助けてもらいながら、人生をエンジョイしていますよ」とお答えしています。それが実際の姿だと思うからです。
かつて「どうしてカンボジアにいるのですか」と質問された父が、「この街に住みながら、ここの人々の隣人となりたいんです」と答えていたのをよく思い出します。母もそのような精神で今暮らしていると思います。支援団体からの派遣でもなく、何かのグループを組織するでもなく、あくまでも個人として、隣人であろうとしてそこに暮らすという生き方。
母が関わっている小学校と幼稚園を私も時々訪問しますが、そこの子どもたちの姿を見ていると、「なんだかわからないけど、近くの街から日本人のおばあちゃんが毎週学校にやってきて、歌やダンスや工作を教えてくれたなぁ。優しくしてもらったなぁ。」とこれから10年後、20年後、もっと後にでもふと思い出すことがあるのだろうなと思います。関わる一人のひとりの子どものこれからの人生に何らかの影響を与えることがあるのでしょう。
ただ、隣人であろうとする-そんな生き方も素晴らしいなと思います。
(漆原比呂志=うるしばら・ひろし=日本カトリック信徒宣教者会(JLMM)事務局長)
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