Sr.岡のマリアの風通信②

マリア論・マリアに関する国際会議に参加して

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9月6日~11日、ポルトガル、ファティマで開催された、マリア論・マリアに関する国際会議(Congresso Mariologico-Mariano Internazionale)に出席した。この会議は、教皇庁立国際マリアンアカデミー(ラテン語で:Pontificia Academia Mariana Internationalis、通称PAMI)が、四年に一回開催しているもので、1900年フランスのリヨンで第一回会議が開かれ、今回の会議で24回目になる。

PAMIの本部はバチカン市国にあるが、実際の事務所は、ローマの二つの大聖堂、ラテラノとサンタ・マリア・マッジョーレの真ん中あたり、フランシスコ会修道院・Antonianum大学の建物の一隅にある。主な役割は、聖座(バチカン)との連携の中で、全世界のマリア論学会、聖母巡礼地の責任者たち、マリア的特色を持つ教会内の「運動(ムーブメント)」などをコーディネートすることだ(詳しくはHP参照)。だから会議の名称も、単に「神学」(学術)的観点(Mariologico)からだけでなく、「歴史」、「霊性」、「司牧」的観点から見たマリアに関する総合的(Mariano)な会議であることを表している。

もちろん、わたしの母校Marianum神学院のマリア論分野の教授たちは様々な形でPAMIに関係している。わたしの博士論文担当教授Salvatore M. Perrella神父は評議員、先輩Stefano Cecchin神父は秘書(segretario)であり、彼らの推薦もあって、2012年12月8日から、わたしもPAMIの正式メンバーとして受け入れられた。

「自慢話」と思われたらお許しいただきたいのだが、なぜこんなことを書いているかというと、神学の中で「マリア論Mariology」という分野は非常にマイナーであり、(イタリアであっても)ほとんど知られていないか、何か「女子供のすること」くらいに(そのようにイタリア語でも表現される)軽く見られているからだ。本当はそうではない。神学の中でイエス・キリストの母、マリアに関する学問は、他の神学分野の学問と同じく、「まじめ」なものであり、聖書と教会の「聖なる伝統」をベースとしながら、「今」を生きるキリスト者の在り方に「実存的に関わる」ものだ、ということを知っていただきたいからだ。

「実存的に関わる」とは、教会のカテキズムでも明らかにされた「信じる(信仰宣言)」、「祭る(典礼)」、「生きる(キリスト教倫理[道徳]」、「祈る(日々の祈り)」の四本柱と深く関わっている、という意味だ。また、いわゆる「民間信心」(聖母に関しては、教会の歴史の中で非常に発展した)は、この、「信じる・祭る・生きる・祈る」というキリスト者としての土台に無関係ではない、という意味だ。

さて、今回の会議は、来年(2017年)、ファチマの聖母出現百周年を迎える準備として、ファチマの巡礼地がPAMIと連携して開いたもので、「ファチマの出来事、百年後:歴史、メッセージ、現代化」L’evento di Fatima cento anni dopo. Storia, messaggio e attualità」というタイトルだった。

PAMIの国際会議出席も四回目。まだまだ駆け出しのわたし(しかもアジアの東の果て、キリスト国でもない小さな島から来た)も、少しずつ「顔見知り」が増えてきた。国際的に著名な学者たちの間でワクワクしている学生のような気分は相変わらずだけれど、ちょっと大げさに言えば、キリスト教世界が、今、「東方」に、「アジア」に、そして「日本」に、何を求めているのか―それは、神が今、アジアに何を求めているのかを反映している-が、わたしの中で、少しずつ形になってきた。

今回も字余りになったので、ここで終わるが、10月は「ロザリオの聖母」の月。まず、わたしの中で、いわゆる「聖母信心」と、キリストに従う生き方の間の深い関係を、少しでも体験できる機会となることを祈りつつ。

(岡立子・おかりつこ・けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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2016年9月24日 | カテゴリー :