Sr石野のバチカン放送・今昔②

 %e3%83%90%e3%83%81%e3%82%ab%e3%83%b3%e6%94%be%e9%80%81バチカン放送の誕生

  「神の至高のお望みにより、使徒および神のご命令によって、教会の教えをすべての人、およびすべての被造物に説く使命を帯びる者として、まず、すべてのもの、すべての人に今、そしてこれからも・・・、聖書のことばをそのまま引用して、『天よ聞け、大地よ聞け・・・すべての人々よ、聞け』と申しましょう・・・」

 無線電信の先駆者、グリエルモ・マルコーニ設立のマルコーニ社製マイクの前に立った教皇ピオ11世は、マルコーニに促され、感動に震える声で、世界の人々に呼びかけられた。それはラテン語だった。

  1931年2月12日、時の教皇の第一声を電波に乗せて、世界に伝えた・・・バチカン放送の誕生である。 (写真は、教皇ピオ11世がバチカン放送第一声に使用されたマイク)

 当初は「バチカン放送局」というよりは、世界に散在するカトリック信者と教皇が直接コミュニケーションをする手段として作られたので、「教皇のプライベートなコミュニケーション手段」という性格が強かった。このため、マイクの前に立つことができたのは教皇だけで、枢機卿さえ立つことができなかった。

 バチカン放送を教皇のプライベートなコミュニケーションの手段から大きく形を変えさせたのは、第二次世界大戦だった。戦中から戦後にかけて、ヨーロッパ各地で戦っている兵士と家族を電波で結んだり、戦地に行ったままで消息を絶っている兵士の情報を内地に向けて提供したり、反対に家族の様子を戦地に伝えるなど、双方のコミュニケーションに目覚しく貢献した。

 電波がもつ威力を知った教皇庁は、徐々にラジオ放送の働きの輪を広げていった。現在は、國際放送の形も整い、教皇以外に司教や神父は言うまでもなく、信徒たちも、男女の別を問わず、40か国以上の人が、バチカン放送のマイクを通して世界に語りかけている。

( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女)

 

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2016年9月15日 | カテゴリー :