清水弘神父のひとこと「ハーモニー」           

 

  もう一度生まれるなら・・・。女子であれば幼稚園の先生になりたい。男子なら、神父でよい。どちらであっても音楽を学んで表現できるようになりたい。

    大学院の時、創設された奨学金が当たったので、すぐにフルートを買った。音楽院を見つけてレッスンを受けることにした。そこで先生に、「僕でも先生みたいなプロになれますか?」と聞いた。先生は即座に答えた、「そういうことは考えない方がいいでしょう」。司祭の道が決まった瞬間であった。

 実は音楽についてはずぶの素人であるが、最近は音楽への感性が高まっているのを感じる。ハーモニーというものに目覚めたからであろう。スーザン・ボイルとエレーヌ・ペイジ、サラ・ブライトマンとアンドレア・ボチェリ、古くなったがABBAもよい。

    内田光子さんや辻井君もよく聴く。あの人たちの醸し出すハーモニーが素晴らしいのである。辻井君はその典型である。彼は見えないゆえに聴きながら演奏する。力いっぱい自分の表現をするが、必ず聴きながら行う。ここに感動を呼ぶ要素がある。

    数人の室内楽でも、何十人というオーケストラでも、合唱団でも、みんな精一杯に自分のパートを表現する。自分を表現しながら他のパートを聴いているのである。それでないと美しいハーモニーは生まれない。一人ひとりが自分を精いっぱいに表現すること。一人ひとりが周囲を全身で聴きあうこと。その中に和が生まれ、生きようとする気力がみなぎる。一人の教え子は大学を中退して音楽の道に進んだ。研修に出た米国から書いてきた手紙には次のようなことばがあった。

  「音楽を通して自分が求めているものは、ある素晴らしく充実した時間、瞬間なのだろうと思います。それを通して、はじめて自分が生きることができるような気がします」

    若い音楽家たちとの演奏活動を通して、彼は生きることの意味を実感していると言える。みんなが自分を表現して、しかも他人を聴き合う。この極意は社会生活にも教会生活にも通じていて、教会がそういう充実の輪を推し進めることができれば素晴らしい。

      自分を力いっぱい表現すること。周囲を全力で聴き合うこと。そんな願いを胸に島根県に赴きます。宇部・小野田の皆さん、3年間の友情を有難うございました。それぞれの場所で〝賛美歌″を歌い続けましょう。

(しみず・ひろし・イエズス会司祭  )(カトリック広島教区・宇部ブロック報2017年3月号より転載)

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