三輪先生の国際関係論 ⑤歴史散策‐2

    前回のこのコラムで取り上げたアイリス・チャンのことは、歴史学に素人の失策と微笑みで迎えてもいいのだが、次に取り上げるのはプロの問題なので、伊達や疎かにするわけにはいかない。アメリカの有名校、アイヴィー・リーグ中でも歴史学の訓練では特に優れていると、其処の大学院で博士号を取得した私の知人、同僚、弟子達から聞き及んでいる、誇らかな評価を聞かされていたものだから、こんな話を知った時には呆気にとられてしまった。二つある。

    先ず一つはこうである。ナチ政権下のドイツの軍需産業とヒトラーとの関係を扱った博士論文である。新たに発見された一次資料をフルに活用した新解釈であった。付かず離れず、適当にサボタージュしたりした様子がこと細かく描き出されていた。審査は通過し、面接試験のディフェンスにも成功して、学位は授与され大学出版局から、立派な書物として世に問われた。

 途端にこの論文の一大長所であった「新発見の資料」と称されたものが、実はフェイクであって、実在していないことが、学外の評者によって指摘されたのである。そこで大学当局は、この学生が就職先にするであろうアメリカ全国の大学宛に、彼の履歴書の博士号の記載はこれこれしかじかであるから、ご承知置きください、と書面で案内してまわったと、雑誌かなにかで読んだ記憶がある。

   さてもう一つはこれほどまでに罪深くは無いが、論文の根拠が脆弱に過ぎる、という批判は真摯に受け止めねばならぬものであった。この批判を私はフィリピンで聞いた。マニラの国立大学史学部アゴンシーヨ(Teodoro A. Agoncillo)教授から聞かされた。上に掲げた贋作の史料による博士論文を受理し、審査し、口述試験も通過させて学位を授与してしまったあの有名大学が、今度の場合フィリピン人の対米観を分析総合し叙述した論文に学位を授与したことへの批判である。方法論的に出発点で既に欠陥があるというのである。

    その批判が、フィリピン広しといえども、いまだタガログ語でフィリピン史を書き、講義する人が彼を除けば皆無といえた時代のアゴンシーヨ教授の口をついて出たものであったことの意義は重い。分析に使われたマスメディアの記事は、在マニラアメリカ大使館が、日々地元新聞から切り取り、貼り付けていたスクラップ帳に限られていた、というのであった。

   本来ならば、マニラの図書館のみならず、地方都市の学校なども含めて、世論が表出している記録類をもチェックすることが求められて当然だろう。第一新聞全体のなかにそのスクラップ記事を位置づける事によって、その記事が発する「歴史」的意味が初めてクリティカルに読み取れるというものだろう。

    私がプリンストン大学院のアメリカ史のゼミで体験した事のうちには、地方史をテーマにしていた学生に担当教授が、小さな教会のブレティン類も見落とさないように、と指導していた。同様のことは当然、フィリピン人の対アメリカ観研究にも応用されていい筈だろう。

   以上二つの例は、アメリカの有名大学の場合であるが、博士論文審査の過程で。日本語の間違いのような欠陥が見逃されて、書籍として出版されてしまっている例は、私が関知しているものでも日本の有名大学の例がある。これら日本国内で起こった問題については、また機会があったら取り上げることにしよう。

(2017・4・20

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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