自分が今、どこで、どうしているのか、ふと分からなくなり、自問することがあります。『タイのバンコク』の自分を意識し、我に帰るのです が、一瞬の不思議な感覚で、何とも説明しょうのない、宙ぶらりんの境地です。
タイ国に来ることになったきっかけを振り返ると、摂理の織りなす 綾に導かれて来た日々、驚くばかりです。
聖パウロ女子修道会は、1915 年に福者アルベリオーネ神父により、イタリアのアルバで創立されま した。前年に創立された男子聖パウロ会と共に、広報機関による福 音宣教に献身し、現在50カ国で奉仕しています。
まさに広報の利器の誕生と成長を共にして来ましたが、要望に応じら れず、断り続けて来たある時期の総会で、聖霊の招きに応じていない 事態を反省し、派遣国を厳選し、15の国に会員を送ること決定。 総長のその時の書状に感動し、50歳の誕生日を迎えた私は「残る人生 を、新たな決意で福音宣教に捧げよう」と奮起しました。
膨大な費用が必要。姉妹たちの協力で、休み時間に皆で資金作りの内職を始め、姉妹たちが「 パウロ娘」としての宣教の熱意に燃えているのを感じ、本当にうれしく思いました。そもそも奉献の人生は幸せのはずなのに、時に惰性に流れ、くすぶる姿、 悲しいですものね。
私は特技無し、専門の養成も受けていない一介の修道者。海外に派遣されることなど 考えもせず、ただ黙々と自分の全てを神様に捧げて人々に奉仕した いーただそれだけで精いっぱい生きていました。その私へ1993 年、総長から手紙で『行ってくれませんか』と呼ばれたのです。
海外のどこかの国で、人々と運命を共にして生きる、存在そのものを捧げる、そうした考え方があってもいいのではないかーそう考えるようになっていたので、喜んでお受けしました。
「私をどうぞ」ー今日もそんな気持ちで、精いっぱいイエスの福音を 生き、このタイで献身しています。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員=写真は「私が手掛けた本とCD」(左)と「愛読者の少年」(右)