タイ社会のおいて私たちは「外国人」ではなく日本人。台湾人、韓国人 、中国人、ベトナム人、カンボジア人、ミャンマー人、パキスタン 人…それぞれの国民で、「外国人」ではありません。「ファラン」 =外国人はフランス人の意ですが、西欧、北中南米諸国の国名が分 からない時、一般的に指してファランと言います。
でも、こうした呼び方は別にして、タイ社会が、国外の人をひとまとめに”外国人扱い”しないことは嬉しい限りです 。近隣諸国が陸続き、人とモノの流れの分岐点であり合流点でアクセスが良く、 あらゆる国から千客万来。異なった文化と民族を受け入れるどほど に、心の領域と視野も広がります。異文化の受容に柔軟で、大らか なタイ社会はたしかに居心地がいい。
各自の信仰についても同様。仏教国であっても其々に信奉する信仰 を持っていて、仏教、カトリック、プロテスタント、イスラム、 ヒンズー、シーク他、むしろ信仰を持って生きる事は人間の当然の 在り様と受け止められていている社会、タイ駐在の日本人カトリック信者の皆さんも、信仰を表明して、伸び伸びと生活しておられます。
ここタイには、アジア諸国の人々が共存する社会があり、活気に 満ちた「協力、共生」を感じます。アジア通貨危機でタイ経済が低迷し、現地での商売に見切りをつける外資企 業が相次いだ時期に、日本企業はタイに留まり、この国の経済と国民の生活を支え続けました。「困った時こそ、共に乗り切る仲間になってくれる日本が、本領を発揮するのです」と、現地の会社役員を務めるカトリックの友人が語ってくれました。
汗だく埃だらけになって共に働き、創造する喜び達成感を味わう醍 醐味を、国境、利害関係の有無を越えて体験している人々がいる。本当に嬉しく思います。
人間社会の凄みと成熟は、多民族の共生から実現される、と思いま す。難民問題が大きく世界中の話題になっている今日この頃、「人が植え、整備された人工林よりも、雑木林は、確かに強い」-そういう人間社会を期待する気持ちを、改めて強くしている私です。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)