・Sr.阿部のバンコク通信 (59)時代は変わり、タイ特産の珈琲を味わう

  タイ入りした1994年4月当初からこれまでを振り返ると、結構な移り変わりが見えて面白いです。

 「スカイトレイン」とも呼ばれる空中を走る電車が敷かれ、渋滞バンコクの行き来が便利になった。携帯-スマホが誕生し、電話ボックスを探さずとも済み、何処へでも道案内してもらい、長距離電話の費用も不要になった。支払い、金銭のやり取りもスマホで指先ひとつ。時間も労力も省け、人々は今やスマホいじりに夢中、のんびり空を眺める余裕ある姿も見かけなくなりました。

 食生活にも結構な変化。客に出すのは「冷たいお水」が決まりだったのが、今は「珈琲いかがですか」と。洒落た珈琲ショップが巷に続々開店、スーパーには迷うほどにさまざまな種類、メーカーのインスタント珈琲が並ぶ。「タイ人は一般的に珈琲を忌み嫌う」という私の第一印象でしたが、今では打ち消されしまいました。

 20世紀中頃、インドネシアから持ち帰った苗でタイ国の珈琲栽培が始まった、と言われます。1988年にはタイ王室が珈琲の栽培開発を企画。山岳の麻薬栽培地帯の貧しい人々が、森林と共生し環境を保護しながら、ぴったりの高地条件で珈琲の栽培を始めました。「ここは昔、木が1本もないアヘンのケシ畑」だったのが、30余年の歳月を経て、良質なアラビカ珈琲畑に変わりました。2014年の時点でタイ珈琲の生産量は世界18位、アジアで3位になっており、南部はロブスタ種、北部はアラビカ種、いずれも品質の良さで評価されています。

 2012 年6月のこと。年に一度タイに来られる福岡教区の川上神父様を囲んで、嬉しい日本語ミサがありました。その折、「アカ族村の初収穫の珈琲、持って行っていい?」と、タイのNGOで働く親友からの電話。ミサ後聖堂前で持参した豆と挽いた珈琲を紹介、どちらも完売となりました。

 友人はタイの貧しい人々の中で環境保護、村興し、AIDS対策などに長年取り組み、当時は珈琲豆の栽培で村の産業振興に力を注いでいたのです。

 日本に帰国する前に「注文よろしくね」と連絡先を置いていきました。《実に美味しい、飲み干して漂う優しい香り》、味を占めた仲間と、今も誘い合い続け、取り寄せています。アカ族のその村は何と、カトリックの村で、昨年はアカ山岳民初の司祭が誕生しました。ほんとうに嬉しいです。

 移り変わる世、今はコロナ禍で動きが取れない状況の中でも、心底から喜び響き合い、翻弄されずに生きていたいです。美味しい一杯の珈琲も、ひと役です。皆さん笑顔で頑張りましょう。

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2021年9月1日