・Sr石野の思い出あれこれ⑦遂に決断、両親に祝福され修道院の門をくぐることに

 蕾、蕾、わたしはまだ蕾なのだ。そんなこと、考えたこともなかったけど・・・・イエス様に蕾を差し上げて、その前でパッと開いて素敵な花を咲かせる。素晴らしいじゃない?

 そんな思いがだんだんわたしの頭の中で、そして心の中で膨らんでいった。そしていつの間にか、シスターになろうかなー、修道院に入ろうかなーという誘惑(?)に変わりつつあった。

 修道院に入るとなると、洗礼の時よりも両親の反対は強いに決まっている、何と言って説得したらよいのだろう? 兄弟たちは? まだ修道生活に入る決心をしたのでもないのに、あれやこれやと思いめぐらした。まるで入会を決めたかのように。修道生活がどんなものであるか、まだ100パーセント分かっていたわけではないけれど、わたしの気持ちはだんだんと修道生活の方に傾きつつあった…。

 そしてついに決心した。修道会に入ろう。修道会に入るということは、生涯を神様に捧げることだと聞いた。イエス様の花嫁になることだとも聞いた。捧げよう、わたしのすべてを神さまに。そう決心した後、わたしの気持ちは揺らがなかった。そして反対は覚悟で周りを納得させるために戦闘を開始した。

 まず、カトリックの友人たちに話した。皆喜んでくれる、あるいは味方になって応援してくれると思っていた。ところが「まだ早すぎる」とか、「修道会の選び方が甘い」、「もう少し考えて他の修道会のことも調べてみたらいい」と、厳しい答えが返ってきた。わたしの心は揺れた。わたし以上に修道会や修道生活を知っている先輩たちの意見だったからだ。でも、誰もわたしの決意をひるがえすことはできなかった。

 さて両親。何と言おうか、どう切り出せばよいのか?ずいぶん迷った。まず母に告白した。「お父さんに聞いてごらんなさい」と、母は逃げた。「お父さん、わたし修道院に行きたいのですけどいいですか?」

 父は「お母さんに聞いてみなさい」と言って言葉を濁した。「なぜ修道院に行くのか?家で何かいやなことでもあったのか、もし変えられることならいくらでも変えるから言いなさい」と父は言った。「何もいやなことはありません。イエスさまと結婚して、イエス様の花嫁になりたいのです」。

 でも、わたし自身、修道生活について説明することが出来なかった。修道女になるとは、イエスさまと結婚し、イエスさまの花嫁になること、と聞かされていたので、そのことばを受け売りするより他になかった。二人で話しているので、ちょうどいい、許可をもらおう、と思って近づくと警戒してか、父が立ってどこかに行ってしまう。

 6か月が過ぎたある日、父がわたしを呼んで言った。「わたしたちは修道生活についてよく分からない。でもあなたが真剣に考えて、本当に、その道で幸せになれる、と思うなら、お父さんもお母さんも、澪子の望みを叶えることにした。子供の幸せを望むのが親の義務だから」と言って修道院に行くことを許してくれた。こうも言った。「石野家の系図には今まで、お坊さんと尼さんが幾人か出ている。このあたりで、たとえ宗教は違っても、神様にお仕えする人が出てもいいのかもしれない」。

 こうして、わたしは両親に祝福されて修道院の門をくぐることになった。洗礼を受けてから一年と2週間目のことだった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2019年1月30日