・Dr.南杏子のサイレント・ブレス日記㊵ 「拍手」の終わりに

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、検査と治療の最前線で戦う医療従事者たちへ「感謝」を伝えるムーブメントが、世界各地で広がっている。

 大きなきっかけとなったのは、イギリスで毎週木曜日の夜に行われた「Clapfor Carers 」(医療・介護従事者に拍手を)という名の拍手運動だ。BBC放送などによると、ロンドン南部に住む女性会社員アンヌマリー・プラスさん(36)が運動の発起人だったという。

 プラスさんが3月20日にSNSに「26日午後8時に拍手をしよう」と投稿すると、反響は見る間に広がった。歌手のビクトリア・ベッカムさんや各界の有名人が次々と参加を表明し、ジョンソン首相も官邸前で拍手の輪に加わる。その模様はテレビで放映されるに至り、運動は週を追うごとに盛り上がっていった。家の前で楽器を弾いたり、鍋やフライパンをたたいたりする人たちの様子は、ロンドン発のニュースを通じてご存知の方が多いだろう。

 「Clap for Carers 」は、5月末で終わりを告げた。運動の終了に際しては、「拍手は(イギリスの医療事情に関する)真の問題から目をそらす気晴らしだった」などという批判も出ていたことを、私たちは知る必要がある。

 ひるがえって日本の話だ。さいたま市では6月15日、全市立学校168校の児童・生徒約10万人が、医療従事者らに「感謝の意を示す」目的で、学校で一斉に拍手をする催しを行った。この取り組みにも、当の教職員や市議会関係者など各方面から疑問の声が上がったという。

 いわく、「感謝は自発的に行うもので、強制的であってはならない」「やり方に問題があった」「唐突で、なぜ拍手を送る

のか子どもは理解していないかもしれない」「ポーズっぽくて嫌だなという思いはある」。

 もう一つは5月29日の例。この日のお昼過ぎ、「新型コロナウイルスに対応する医療従事者に感謝を示す」として、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」6機編隊が、東京の都心部を中心に千葉、神奈川県境付近まで「8の字」を描くように飛行した。大空を舞台にしたイベントには好意的な声も多かったが、騒音や事故への懸念に加え、「政治利用では」との指摘も飛び出した。

 こちらも、疑問の声に耳を傾けると、「病院上空を爆音で飛行するのは、医療関係者や周辺住民に迷惑」「医療機関や従事者に経済的支援を手厚くしたほうが敬意と感謝を示せる」「違う税金の使い方がある」と、一様ではない。

 新型コロナウイルスの感染拡大を目の当たりにしているという「共通体験」があっても、医療や医療従事者に対する個々人の思いは、決してひとくくりにすることなどできない――。3つの例が指し示すのは、そうした当たり前の事実なのかも知れない。

 こうした中、拙作『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』がドラマ化され、NHKテレビ「金曜ドラマ10」の番組枠で7月17日から連続10回で放送されることが決まった。出演は、貫地谷しほりさん、内田有紀さん、佐野史郎さん、伊武雅刀さん、朝加真由美さん、田中哲司さんほかの皆さんという豪華な顔ぶれだ。

 「モンスター患者」と呼ばれる人物を登場させたこの医療小説で筆者が問いたかったことは、医師と患者・家族との思いや、それぞれの関係のあり方だ。

 つまり、前述したように「ひとくくりにできない」事柄である。物語に登場するさまざまな医師や患者、家族たちの中で、「誰」に共感し、「誰」の言葉に反発を感じ、「誰」の行いに胸を打たれるか――。ドラマをご覧いただいた一人一人の方にお聞きするのが今から楽しみだ。

 (みなみきょうこ・医師、作家: 古都・金沢の診療所を舞台に、在宅医療の現場や、生老病死のさまざまな風景、「死なせてほしい」と口にする身近な家族との葛藤を描いた医療小説『いのちの停車場』を5月27日、幻冬舎から上梓しました。単行本の刊行に合わせたタイミングで、本作を東映で映画化していただく企画も発表されました。『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎文庫、『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』=幻冬舎文庫、『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』=講談社も、好評発売中です)

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2020年7月1日