・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉗かけがえのない人生を大切に-名物教授の名物講座

 早稲田大学に、名物教授による名物講座がある。

 そんなの、珍しくもなんともないーと思い込まないでほしい。講座が設置されているのは、学部でも大学院でもない。社会人でも高齢者でも、誰もが自由
に通うことができる「早稲田大学オープンカレッジ」なのだ。

 講師を務めるのは、大槻宏樹・名誉教授。昭和8年、長野県生まれの名誉教授は、教育学とりわけ生涯学習・社会教育の権威で、オープンカレッジでは2000年度から「Death Education―死と向き合って生きる」と題する講座を約20年にわたって続けている。

 大槻講座を「死生学」と総括するのでは、かえってその対象を狭めてしまう。2018年度のカリキュラムを見ても、「他者と生きる」「〈生〉とは」「死は選べるか」「動物の死」「超高齢社会に〈老〉とは」「『きけわだつみのこえ』とその周辺」「在宅死と病院死」「墓と塔」「自死と無縁死」「生命倫理と優生思想」「遺言と辞世」――と実に幅広い視点から「生きることと死ぬこと」を学ぶ機会を与えてくれている。

 講座の狙いについて大槻名誉教授は、「死がタブー視されているのを直そうと思います。死ぬ時だけが尊厳ではないはずです。生きている時こそ尊厳であ
りたいものです。かけがえのない人生を大切に――という思いです」と語る。「Death Educationとは、死の準備教育ではありません。むしろ、死と向き
合って『生きる』ことに重点をおいています。生きるために、人と人との関係の大切さを知り、無理な自立よりも依存の大切さを学んでもらいたいのです」。

 ユニークなのは、講座の内容だけではない。毎回の講義終了後、名誉教授と受講生による茶話会を開くといったところは、まだ序の口だ。公式のカリキュラムにはない施設見学会や懇親会の開催、合宿旅行や自主勉強会などを受講生に企画させ、毎年の授業成果をまとめた論文集も、編集委員による数次の会議を経て発刊する。

 さらに2007年からは、受講年を問わず歴代の受講生たちが自由に参加できる研究発表会を11月に開催。年度末3月には、歴代の受講生が集うメガ同窓会も開かれる。同窓会組織を維持・運営するのは各期の世話役を務める幹事たち……。まさしく、大学のゼミとそのOB会のような集まりになっている。

 あまたあるカルチャーセンターの講座と同様、大学の教室内限りで離合集散するのが当たり前の公開講座で、実に「濃い」相互交流を実現していると言えるだろう。

 縁あって1月中旬、大槻名誉教授宅を訪ねた。その日は、受講生たちが名誉教授宅を訪ね、ちゃんこ鍋をごちそうになるという、これも大槻講座の「正月
行事」の日だった。

 四方の壁がびっしりと本で埋まる書斎に、いくつものテーブルを並べ、あつあつの鍋とおせち料理をいただき、受講生らが手土産に持ち寄った酒を開けていく。名誉教授を囲む形でそろった受講生たちは、おおむね60歳代以上。初孫の話をしながらワインに手を伸ばす教え子を前に、相好を崩して鍋をすすめる80歳代の恩師の姿……。「かけがえのない人生を大切に」という言葉が改めて思い起こされる冬の一日だった。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が昨夏、文庫化された。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)

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2019年1月26日