・Dr.南杏⼦のサイレント・ブレス⽇記㊴ 「いのち」への思いは⼀つ

新型コロナウイルスの感染拡⼤をできるだけ避けるため、⼈との距離を保とう――という呼びかけ、いわゆる「ソーシャル・ディスタンシング」(社会的距離の確保)は、すっかり市⺠権を得る⾔葉となった。

 もともと公衆衛⽣学上の⽤語で、効果的な治療薬やワクチンが開発されていない感染症のパンデミック(世界的⼤流⾏)に関する論⽂で使われるようになったという。推奨される距離は、おおむね2メートルとされる。私たち⽇本⼈であれば、両⼿を左右いっぱいに伸ばした上で、男性ならもう30センチ、⼥性なら40センチ程度プラスするといった感じだろうか。

 そのあたりの距離感をめぐる表現⽅法に、実はお国柄と⽂化の違いが出る。オーストラリアでは「カンガルー1頭分、距離を取って」と⾔い、カナダでは「ホッケーのスティックが届かないくらい」などと表現しているらしい。国際NGO、世界⾃然保護基⾦(WWF)は、「⼈混みの多い場所に⾏くときには…ジャイアントパンダ、オサガメ、若いオスのホッキョクグマ、2⽻のキングペンギン、くらいの距離を意識してみましょう」とツイッターに投稿している。⽐喩そのものについては、イギリス⼈スタッフの発想だったという。

 専⾨の辞典をひもとくと、こうした違いはより明確な形で伝わってくる。いろはカルタの冒頭句として有名な「⽝も歩けば棒に当たる」に相当する各国語の⾔い回しを、『世界ことわざ⽐較辞典』(⽇本ことわざ⽂化学会編、岩波書店)の中から探してみた。

・英語「駆け回る⽝は、いつか⾻を⼿に⼊れられる」

・オランダ語「⾶ぶ烏はいずれ何かを⾒つける」

・スペイン語「船に乗らない者は船酔いしない」

・ロシア語「悪魔はどんないたずらもする」

・トルコ語「座っているライオンより歩き回るキツネの⽅が良い」

・ネパール語「⾺に乗る者は落ちもする、仕事をする者は失敗もする」

・中国語「⽡が向きを変える⽇もある、東⾵が南⾵に変わる時もある」

なるほど――と感⼼するほどのお国柄、⽂化の違いが浮かび上がる。では、先ほどの辞典の中で、「⽝も歩けば…」の後に続くことわざ「命あっての物種」はどうだろう?

・英語「そこに命がある限り希望がある」

・オランダ語「命ある限り希望がある」

・スペイン語「命ある限り希望がある」

・ロシア語「命はあらゆる財宝より⾼い」

・トルコ語「命は何よりも尊い」

・ネパール語「息ある限り希望がある」

・中国語「格好よく死ぬより格好悪くても⽣きる⽅がまし」

 驚くほどストレートな類似性が、ここにある。同辞典の編者も「命が最も⼤切なものだという思いや認識は外国も変わらない」と結論づけている。

 今もなお世界中を揺るがすコロナ禍の中で、「⼤切ないのちを守るために」という表現を何度となく聞いた。その思いは世界中の⼈々と共有されるべきだし、共通の⽬標を達成するために、⽂化も⾔葉も異なる⼈々が、今こそ強く⼿を結ぶべきだと感じる。東京の⽚隅から⽇本語で⼤⾔壮語する気はないが、英語のトランプさん、中国語の習さん、アムハラ語のテドロスさんに、そんな思いを感じ取ってもらいたい。

(みなみきょうこ・医師、作家: 古都・⾦沢の診療所を舞台に、在宅医療の現場や、⽣⽼病死のさまざまな⾵景、「死なせてほしい」と⼝にする⾝近な家族との葛藤を描いた医療⼩説『いのちの停⾞場』を5⽉27⽇、幻冬舎から上梓しました。単⾏本の刊⾏に合わせたタイミングで、本作を東映で映画化していただく企画もオープンになりました。『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎⽂庫、『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』=幻冬舎⽂庫、『ステージ・ドクター菜々⼦が熱くなる瞬間』=講談社も、好評発売中です)

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2020年6月1日