・ChrisKyogetuの宗教と文学 ①「迷える魂に捧げるミサー La misa de las ánimas」

*「カトリック・あい」より・・5月から、Chris Kyogetuさんが、コラム執筆に参加してくださることになりました!ご本人についてはChris KyogetuThere are no people who watch you more than God.Commentary、 Chris Kyogetu – YouTube を御覧ください。

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 「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。 シモンとその仲間はイエスの後を追い、 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。私はそのために出て来たのである」(マルコ福音書1章35‐39節)

 

 

 これからお話しするのは、私の好きなスペイン民話の一つです。

 昔、小さな子供が三人いる貧しい夫婦がいました。夫は病気で働けず、奥さんが家族のために物乞いをしながら養っていました。ある日、施しを求めて回っていると、漸く1ペセタを貰うことができました。しかし、その金額では食料を買うことが出来ません。奥さんは「何故、このような1ペセタが必要なのだろう」と自分自身に問いました。「どうせ食料も買えないのに、何故必要なのだろう」と。7EF1E257-D207-4B7A-BD2D-B99A66696A97.JPG

 「何も買えないのだから、ミサを捧げるのに使おう」と思いました。そこで独り言のように問いました-「ミサで、誰のためにお祈りをしようか」と。やがて奥さんは「ミサが一番必要な魂」に祈りを捧げることを決め、神父のところに行きました。「神父様、この1ペセタを、一番ミサを必要としている人に捧げてください」と頼むと、神父はそれを聞き入れて、ミサを捧げてくれました。

 その帰り道に、一人の若い紳士に出会いました。その紳士から「奥さん、何処へ行かれるのですか?」と尋ねられ、奥さんは今までの経緯を話しました。すると、その紳士は一枚のメモを渡し、「こちらの家に行きなさい、そしてそこの女主人に『働かせてください』と頼んでみてください」と言いました。

 奥さんは不思議に思わずに、書かれてあるメモの通りに進み、ある一軒家にたどり着き、ベルを鳴らすと、女中が出てきました。「ここの奥様に用があるのですが」と言うと、女主人がやってきました。奥さんは「さっき、一人の紳士から『働きたいのなら、この家に行くといい』と勧められました」というと、女主人は「まぁ、それは一体どんな紳士なんでしょう?」と不思議がると、奥さんは「あの方です。あの絵の人がここを紹介してくれました」と言いました。すると、女主人は「あれは、四年前に死んだ息子ですよ?」と答えました。

 奥さんは自分が貧しいこと、夫が病気で、三人の息子がいてシチューの材料費を物乞いで稼ごうとしたけれども、1ペセタしか稼げなかったこと、それで1ペセタをミサに捧げ、その帰り道に紳士に会い、ここを紹介してもらったことなど、今までの経緯を語りました。

 すると、女主人は奥さんに仕事を与え、沢山の食べ物も与え、明日また来るようにと言いました。

 それから5日後、女主人の前に死んだ息子の亡霊が現れ、「お母さん、もう私のことで泣かないでください。もう私の冥福のためにお祈りを捧げなくても結構です。私はもう天国へ入り、神様の前にいるのですから」と言いました。

 あの1ペセタは、この息子のために祈られ、煉獄から天国へと行くことが出来たのです。

参照→http://ciudadseva.com/texto/la-misa-de-las-animas/

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 スペイン民話の中でもカトリックの良い一面がよく出ている話です。ペセタとは昔のスペインの通貨です。1ペセタがどれほどのものか、実際に触ってみたくなって手に入れてみましたが、思ったよりも小さくて驚いてしまいました。日本の1円玉よりも小さいです。勝手なイメージで100円玉ぐらいの大きさで見ていましたので、この小さな存在を知れることができて感動しました。私がこの話が金額だけではなく、たとえ小さな祈りでも重要なことだな、と知ることができたお話です。

 祈りといえば、イエスのお祈りの箇所はマルコによる福音書には三か所あります。「イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、お祈りをされる」というのは一つ目のお祈りです。キリスト教は、大きな帝国でも宮殿でもなく、小さなところから、大きく広がっていきます。イエスの誕生もまた、観客が大勢集まる宮殿ではなく、馬小屋で生まれ三博士の祝福によるものでした。弟子たちが「みんな探しています」と言うのは、常にイエスにこの場所にいてほしい、と思う気持ちが反映されています。

 この奥さんも、家族のために稼ぎたかったのですが、1ペセタしかもらえませんでした。それでも彼女が「最も貧しい人のために」と祈ったことが、イエスの場所を示したのだと思います。巡り巡って息子の魂が母親に諭したように、「自分が祈っているだけではなく、誰かも自分の解放のために祈ってくれている」ということは、信じても良い話だと思います。

(Chris  Kyogetu)

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2023年4月28日