・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑫「美女と葡萄酒」は実体験か、神の愛を求める修行人生の象徴か 

 ペルシャの大詩人ハーフェズの詩に常に登場する美女と葡萄酒は、神の愛を求める修業人生の体験を象徴的・詩的に描写するめのシンボルに過ぎないのか、それとも実人生でもそのような恋愛を経験し、葡萄酒を嗜んでいたのだろうか。

 ハーフェズは妻や子をこよなく愛したと伝えられるが、妻以外の美女たちとも関わりがあったのかは、あまりよく分からない。何せ五百数編の詩しか残っていないのだから。ハーフェズの詩は、神への愛を美女との恋に託してその愉悦と苦痛とを描いているが、自由な恋愛が行われる時代でも社会でもないことを考えれば、現実の描写というより、詩的表現のための工夫と考えざるを得ない。

 それにしても、その描写は迫真に迫っている。その中でよく問題となるのは葡萄酒である。古来議論の分かれるところであるが、イランの革命後は、イスラームが禁じる酒はご法度である。したがって、イランの専門家に聞いても歯切れは悪い。ハーフェズは実際には酒は嗜まず、あくまで象徴的に葡萄酒のもたらす陶酔感を神との一体感にたとえたもの、という議論になる。

 ハーフェズがこよなく愛した故郷シラーズは、ブドウの産地である。葡萄酒こそご法度であるが、イランでは今でも葡萄自体は普通に手に入る。シラーズの葡萄酒がおいしかったことは、シラーズ種の葡萄のワインが、今でも世界で嗜まれることで分かろう。

 ハーフェズの時代に葡萄酒が嗜まれていたことは、すでに紹介した下記の詩句からも明らかである。

 「美しき娘よ 公正の酒壺から葡萄酒を小さな杯に分けてくれ 乞食(紳士に道に励む者)が 世界をひっくり返さないように」

 当時、「公正の壺」と言われた葡萄酒壺があり、支配者が商人に対して税を胡麻化すことがないよう、この壺を使って店にある葡萄酒の量を測り納税額の基準としていたことが知られる。

 また、「忘れはしない 我は裏庭に住し(真摯に道に励む)(神に)酔うていた(自己滅却)今我のいるモスクにないものが そこにはあった」(カッコ内は訳者注)。本来、神を求めて自己滅却を目指す導師や修行者が、神への恋の道(徳)を説く傍ら、自己の欲望にふけるさまを嘆き糾弾するものであるが、ここでのハーフェズは、葡萄酒に酔っていたわけではない。あくまで、真摯な修行を通じて神との融合に愉悦・陶酔していたのである。むしろ、導師や同僚の修行者が、人目を盗んで葡萄酒を飲んでいたのであろう。

 それならば、ハーフェズは葡萄酒を飲んでいなかった、と言い切れるであろうか。実はそうとも言えないような気がする。

 「葡萄酒のもたらす至福を想えば 本源(万物の主、神)の巧みさが知れる バラの花びらの内で密かに バラ水が育まれるように」

 ここでいうバラ水とは、アルコールを含まないバラのエキスで、今でもイラン(カーシャンという町はバラ水で有名)で作られている。バラのエキスは、バラの花びらがつぼみから開花していく過程で、人からは見えはしないが徐々に育まれていく。自然の妙であり神の力のなす業、それは葡萄酒についても同じである。

 葡萄酒(味のみならず、香り色すべてを含めて)を本源(創造主)の巧みな力を示すものととらえているが、その味わいを自ら経験することなくそうまで言えるのであろうか。

 これまでは、ハーフェズの得意とした「ガザル」という短編の詩形式の一部の詩句を引用して紹介してきたが、次回にはガザル一遍全体を紹介する。ハーフェズが、実際に葡萄酒を飲んだのか飲んでいなかったのか、参考になろう。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一=元イラン大使)

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