・画家・世羽おさむのフィレンツェ発「東西南北+天地」③ 美について

 今回は、私のイタリアでの生活について短く書き、その後、「美」について続けます。

 イタリアでは日中の気温差がとても大きいです。なので、春や秋に朝コートを着てアトリエに行き、昼には半袖で汗を流しながら絵を描いていることもあります。8月には40度まで気温が上がり、昼、外には猫の気配もない様子で太陽もギラギラと輝きまぶしいですが、こういった中クーラーなしで窓の開け閉めで室内の温度をできるだけ低く保ちながら、生活しています。

 つまり、朝、気温がまだ低いときは、家の全ての窓を全開にし室内温度を下げ、午後は反対に全ての窓、またカーテンの代わりに扉またはシャッターを閉め、夕方まで、朝の涼しさを少しでも長く確保しようとします。それでも、外は40度。なので、昼はともかく室内も暑くなる!でも、私はこういった自然のリズムと共に生きる、イタリアの生活が好きで、クーラー設置?などのアイデアは出てきません。

 また、四季に恵まれているのは、日本と同じですが、湿度の違いは、またとなく大きいです。イタリアでは、夏は乾いていて、冬はたくさん雨も降り、湿気があります。

 さて、美( la bellezza)について書きましょう。

 「美しい」という言葉から、読者の皆さんは、どのようなことを連想されるでしょうか? 調和、和やかさ、しなやかさ、純粋さ、これらの名詞、形容詞は、「美」の性質を表す一例でしょう。それでは、「美」を計ることはできるのでしょうか?

 大切なのは、「醜い」が、本質的には「美しい」の反対語ではない、ということです。ここで言う「美」は、何か普遍的なもので、個人の好き嫌いを超えたものです。つまり、美は愛の産物です。

 イタリア語の芸術 ”arte” は、絵画・彫刻などの ”belle arti”、 つまり美術より、幅広い意義を持って使われています。日々の生活も”arte”、つまり芸術となり、対人関係をどのようにするのか?そこにも、”arte”があります。どのように食卓を準備するか?どのように、全世界の兄弟に奉献するか、つまり、日々のたくさんの小さな、そして大きな選択を”arte”に還元することにより、生きること自体が芸術となるわけです。

 例えば、富士山を前夜、遅くから登り始め、早朝に日の出を山頂から眺め、言葉なく、ただ静かに、その「美」を享受するのは、つまり、普遍的な「愛」を感じているのでしょう。こういったように普段、私たちの中にある個人が宇宙と一体になり、参加する体験は、ある宗教の経典を理解している特別な人たちだけのものではなく、すべての人、あなたのものです。

 旧約聖書の創世記で、神は無から創造した代わりに、私たち芸術家、つまり、あなたを含めた、日々生活の芸術家は、この世にある創造されたものを変容、変形することで、美を実現します。レオナルド・ダ・ヴィンチが絵の具を使い、最期の晩餐の心象を具現化するように、ミケランジェロが大理石の中に聖母マリアとイエスを見つけるように。生活の芸術は、見せびらかすためでも、宣伝するためでもなく、最終目的は「愛」を美といった形で具現化することにあります。

 さて、聖書の良いサマリア人の一節を読んで見ましょう。

 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追い剥ぎに襲われた。追い剥ぎたちはその人の服を剥ぎ取り、殴りつけ、瀕死の状態にして逃げ去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、反対側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、その場所に来ると、その人を見て気の毒に思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』この三人の中で、誰が追い剥ぎに襲われた人の隣人となったと思うか」(ルカによる福音書10章30〜36節)

 この善いサマリア人にどのような印象を持ったでしょうか?私は、彼がとても美しい人だと思います。なぜなら、愛したからです。内面的な美しさは対人関係の中で築かれるものです。例えば、イエスは鞭受けの刑を受け、とげの冠をささげられ、顔、身体が変容した際にも、彼はとても美しかったわけです。

 内面的な美しさと外見的な美しさは、一見、合致しないかと思われがちですが、私たちが心の目によって見れば、対応するものであり、その根源には常に神の愛があります。そして、心の目で見える美しさを他人に見たと時に、評価し、また、神に感謝することによって、愛がどこまでも浸透していくことでしょう。

 つまり、ここでの善いサマリア人は富士山の日の出と同じように、日本古語でいう「あはれ」の情緒を持つものとなるでしょう。

(世羽おさむ、写実画家。ウェブサイトwww.osamugiovannimicico.com/jp インスタグラムwww.instagram.com/osamugiovannimicico_art/ フェイスブックhttps://www.facebook.com/osamugiovannimicico/ )

(絵は世羽おさむ作「隣人」 油彩、カンヴァス、75x60cm、2020年)

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2021年5月2日