・愛ある船旅への幻想曲 ㉕私たちはいつ、”復活”できるのだろうか

 新型コロナ感染は収束に向かっているとのことから、政府は、マスク着用“3月13日からは個人の判断で”と決定した。私はマスクでの生活が苦痛だが、マスクなしの生活に不安を持つ人もいる。その理由も人それぞれで驚くことも多い。

 「マスクの生活に慣れてるから、ずっと着用すると思う」「マスクを外した顔を見られたくないから」と、小学生から高齢者まで既にマスクが顔の一部となり、コロナ感染予防のためのマスク着用ではなさそうだ。コロナ禍から見えた、人の内面である。

 カトリック教会はコロナ禍から何を見たのだろう。信徒にとっては教会を冷静に見つめる“時”であったかも知れない。

 友達のフランス人は3年ぶりに故郷に帰り、「国も教会も大きく変わっていた」と嘆いた。「ミサにあずかるフランス人が少なくなっている」と。もともと信徒の少ない日本も同じ。私の周りの小教区でも、日本人の姿が減る一方だ。教会が多様性や国際性を全面に出すのも結構だが、今の状態はいかがなものかと案ずる。「フランスでの性的虐待の問題も永遠に続くだろう」と友達は静かに言った。

 今、私が知る教会に集う信徒たちは、大きく分けて二極化している。「教会での奉仕が生き甲斐であり、教会活動に熱心な人たち」と「ミサを捧げるためだけの教会、と割り切っている人たち」だ。前者は、後期高齢者に多い。家族と過ごす時間よりも教会で過ごす時間を優先してきた人の場合、家族、特に子供は、教会をどう思ってきただろう。

 私の友達の家族の場合、父親の葬儀で、喪主の長男は「父をずっと教会に取られていました。私たち兄弟は教会が嫌いです」と挨拶した。兄弟は皆、幼児洗礼であるが、教会には行かない。後者は、信者との交わりを避けているため教会の人間関係で悩むこともなく、安全な立ち位置だが、共同体としての歩みもない。

 かつて私たちは、教会の未来を見据えて小教区の運営に参加していた。これからの教会を支えてくれる若い世代を交えて奉仕できる環境作りをしていた。若者も増えていた。そのためのマネジメントに必要な意見を教区に提案したが、逆効果。私たちは、パワーハラスメントを受け、相談できるカトリックの組織を探したが見つからないまま、時を過ごしてきた。

 諦めていた時にインターネットで“カトリックあい”に出会い、そこに書かれているカトリックの情報、最新ニュース、また、解説に光を見つけた。そして毎回「これで最後かも」と思いながら拙い文章のコラムを書いているのである。地方に住み、私の身近な小さき老若男女信徒の思いをも書かせていただいている“カトリックあい”に“神”に感謝である。

 また、私は一冊の本を見つけた。野村よし著『マネジメントから見た司教団の誤り』(「幻冬舎ルネッサンス新書」)である。

 私は、今は亡きある司教様から「興味や疑問が湧いたなら直ぐに行動すること」と教えられた。そんな司教様は、司教団への野村さんの真摯な問いかけに反応し、すぐに野村さんを訪問されていた。司教様から「立ち上がれ!」とよく言われたことが懐かしい。

 野村さんは、同著でこう書いておられる。

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 本論考の執筆については心理的に高いハードルがある。正直、怯む。しかし、次の教えに基づいて決断する。

 ([教会憲章・37項]「信徒は、すべてのキリスト信者と同様、聖職にある牧者から教会の種々の霊的善、とくに神のことばと秘跡の助けを豊かに受ける権利を有しており、自分の必要と望みを、神の子らとキリストにおける兄弟にふさわしい自由と信頼をもって、牧者に表明すべきである。信徒は、恵まれた知識、才能、卓見に応じて、教会の利害に関することがらについて自分の意見を表明する権利を有し、時にはそうする義務がある(後略)」

  上記には「教会がそのために制定した機関を通して」との条件がついている。残念ながら日本のカトリック組織内に、そのような機関があることを知らない。私は今までに個人として、またグループの一員として、司教様方に、少なくない意見を述べ、質問をしてきた。基本的には無視された。少ない回答も、「回答できない」、もしくは「見解の相違」の類で、実質無回答と同じだった。「信徒は、恵まれた知識、才能、卓見に応じて」との条件もある。本書がその条件に値するかどうかは、読者のご判断に委ねる(自分では値すると思うから発表するのである)。

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 私たち信徒は社会で生きている。しかし、一般社会の組織では考えられない強い位階制度に守られた「司教」の立場からの問題発言と、そばで司教と一体化した聖職者の言動に、社会性は無い…イエスの死刑を要求したユダヤ人指導者を思う。報道されるカトリック教会の組織的隠蔽を、私たちは肌で感じた。

 先日、四旬節の黙想会で「神の思いは孤独な人には届かないんです」と教えられた。私たちは、いつ復活できるのだろうか、と今日も憂い、頭が痛い。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2023年3月4日