・愛ある船旅への幻想曲 ⑥ ついつい、知らず知らず、複雑に…

 *今年の夏は、複雑ー私の身にも

 コロナ関係のニュースとオリンピック関係のニュース。そして、注意が必要な熱中症と天気予報。報道する側も、それを受ける側も、すぐには思考回路が定まらない。そう感じるのは私だけだろうか。その上に猛暑である。速報が出る度に緊張が増す。最近の生活は、以前よりも随分と緊張せねばならなくなっているというのに…

 このような複雑な社会情勢であっても、私たちは置かれた場所で生きていかねばならない。

 同じ船に乗っていても、違う景色の中に身を置くことがある。側にいる相手に、ついつい言わなくてもいいことまで言ってしまう。こちらが、ついついでも、相手はしっかり受け止めて、事態はとんでもない方向に進んでしまう。知らず知らずのうちにストレスを感じて生活している今、私達の情緒も不安定であり、あえて言わなくてもよい言葉を、ついつい、思いっきり発してしまうのかもしれない。

 私は青年二人と、聖書を身近に感じるように意見交換している。ある日突然、二人は一瞬にして交流を断った。それを知った私の思考回路は混乱した。「どうして?」。二人との間に、まだ信頼関係が生まれていなかったのか? 隣人愛は育っていなかったのか? 聖書の言葉は心に染みていなかったのか?

 上から目線の私(私自身、偉そうなことが言えないことは、百も承知なはずなのに)。人を赦し、謝罪することは、なかなか難しい。今時の若者(このフレーズを、若者は嫌う)は、この状態にどうやって対処するのか? 「神を信じ、イエスと共に歩んでいます」と彼らは言っていたではないか。無論、私は2人に、一度は聞いてみたのだが、良い反応は得られなかった。

*でも、神はおられた。

 遠方の司祭を訪問した時のこと。帰る間際に、連絡が途絶えていた彼らの一人が、偶然にも司祭に会いに来た。彼は、どんな反応をするのだろう? いい年である私は、大人の対応をせねばならない。それぞれの思いは、神は全てご存知。あの時、どちらが”成熟”していたのか、私には分からない(私でないことは確かだが)。

 今、何が必要なのか?ー神は案内してくださる。神はいつも側におられる。

「よぉ、久しぶりだね」「あの時は失礼しました」

 …先週、私達の聖書の集いは、三人で再開した。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2021年8月4日