・三輪先生の時々の思い:地政学の昔、そして今は…

 古いことなので、私の記憶に過ち無しとしないが、当代の国際政治状況を判ずるにあたって、ジオポリティックス=地政学=の手法を用いるのを躊躇する学者が結構いたものである。代表的な例は、東京帝国大学の政治学の泰斗、蝋山政道教授であった。ヒットラー独逸には地政学専攻の研究所もあったが、当時の日本では、地政学を「学問とは呼べない、領土侵略を正当化するための”似非学問”だ」と歯牙にもかけないのが、「真面目な学者の品質証明」とされていた。

 地政学は、東京帝国大学では全く無視されたが、冒険心旺盛な京都帝国大学や、東京では慶應義塾大学には、この新学問領域に挑む学者もいた。「満州事変(日中戦争)」という国際政治上の新展開が、新しい学問の有用性に光を当てたためである。

 そうした中で、東大の蝋山政道は、地政学を歯牙にもかけない学者の一人だった。東大法学部政治学科に在学中、民主社会主義理論家としての素地を作り、卒業と同時に法学部助手、助教授を経て、1928年に教授となり、二・二六事件に際して『帝国大学新聞』に軍部批判の論説を掲載するなど、軍部に批判的な姿勢を見せた。

 その一方で、「立憲独裁」を提唱して、近衛文麿のブレーン組織である昭和研究会の設立構想に参加。第一次近衛内閣の下で対中全面戦争に突入した1938年には「東亜共同体」をめぐる論争の口火を切り、その過程で、国際法違反の日本の立場を”合理的”に釈明するのに、地政学が利用可能、と判断するに至るのであった。

 「日本が、北東アジアでの地政学的課題と脅威の最前線にいる」と、山上信吾・豪州大使が文芸春秋の4月号に「驕れる中国とつきあう法ー『戦狼』対策は豪州に学べ」のタイトルで書いておられる。

 今、欧州大陸で独裁専制主義国家に逆戻りしたロシアがウクライナに軍事侵略を進め、人道に反する行為を繰り返し、東アジアでは、軍事・経済大国となった中国が覇権を確立しようと攻勢を強めている。そうした中で地政学が再び脚光を浴びるようになったのを、鬼籍に入られた蝋山政道教授、そして、御子息で上智大学で私の同僚だった道雄教授(故人)は、どう見ておられるだろうか。

(2022年3月23日記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)

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2022年3月23日