・三輪先生の時々の思い ⑱90爺の小言…「なぜ、ちゃんとした日本語を使わないのだろう」

・三輪先生の時々の思い ⑱90爺の小言…「なぜ、ちゃんとした日本語を使えないのか」

 新型コロナウイルス感染の中で、腹の立つこと。ちゃんとした日本語があるのに、何で「アラート」だとか「ロードマップ」だとか言うのですかね。「注意喚起」とか「道筋」と言う立派な日本語があるのに。

 さらには「パンデミック」だの、「クラスター」だの、「オーバーシュート」だのと、政治家、官僚、マスコミも含めて使いすぎだよ。

 耳障りだね。もっと優しく話しかけられないものだろうか。人の上に立つ人間としてどうか、と思うよ。無神経と言うか、鈍感と言うか。民主主義を底辺で支えるのは、一般市民に話しかける言葉の暖かさや、わかりやすさにあるのではないだろうか。

(2020.5.22記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長、プリンストン大博士)

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2020年5月31日