「導かれて-司祭叙階25年に感謝」ヨセフ・ディン神父

  召命のきっかけは

 3月8日、司祭叙階25周年を迎えました。司祭の道を考えるきっかけは、生まれ故郷のベトナムの小教区で司牧実習をしていた神学生が、教会学校で子供の僕と遊んでくれたことでした。

 教会の広い前庭でサッカーを楽しんだ後、侍者(祭壇奉仕)や祈り方を指導していただいたおかげで、神学生の道に魅力を感じ、小神学校に入りました。まだ、司祭になろう、という気持ちはなく、「あの神学生のようになりたい」という素朴な気持ちでした。

  難民として日本に

 1975年、ベトナム戦争終結で南北ベトナムが一つの共産主義国となり、教会の施設(学校や病院など)が閉鎖されたり、国有化されたりしました。僕が入っていた小神学校も閉鎖され、家に帰らねばならなくなりました。

 司祭への道に再度、挑戦したい、という強い思いから、小さなボートで国を脱出したのは、1981年㋄29日の真夜中のことです。海の上で3日たち、水も食べ物も無くなった時、日本に向かっていた液化天然ガス(LNG)のタンカーに助けられ、日本に上陸しました。

  粕谷神父との出会い

 日本では、徳島県の造船所で2年ほど働いた後、日本に定住するために品川の国際救援センターに受け入れてもらい、日本語を「あいうえお」から習い始めました。そこで粕谷甲一神父さまとの出会いがあったのです。粕谷神父さまは、毎日曜日にミサを捧げにセンターに来られ、侍者や聖歌の伴奏などのお手伝いを通して、お話しする機会ができました。そして、ちょうど3か月の日本語コースを終えた時、「東京教区の神学生になりたくないか」と声をかけてくださり、数か月後、白柳誠一大司教さまと養成担当司祭の面接を受けるために、関口の司教館に連れて行ってくださったのです。

  白柳大司教のはからいで

 面接の時は、まだ日本語が十分でなく、お2人の質問が全部は聞き取れず、自分の考えも表現しきれませんでした。それでも、気持ちは伝わったので、受け入れていただけたのだと思います。

 東京教区には外国人の司祭がいましたが、教区として外国人神学生を受け入れたのは初めてで、だいぶ戸惑っておられたようです。東京神学院でも、初の外国人神学生の受け入れとなり、日本語で授業を受けられなかった僕のために日本語学校を探したり、神学院での生活に早く慣れるように色々気を配ったりしていただきました。

 今振り返ってみれば、「感謝でいっぱい」の一言に尽きます。

 もし粕谷神父さまに出会わなかったら、もし白柳大司教さまがおられなかったら、僕は東京教区の神学生になり、東京教区の司祭になることができなかったかも知れません。お2人とも留学され、外国での生活を経験されていたこともあり、お1人は僕に司祭にならないか、と声をかけ、もうお1人は僕が司祭になることを受け入れてくださったのだ、と思います。神は、お2人を通して、僕を助け、導いてくださったので、今、小金井教会で皆さんのために働き、皆さんと共に叙階25周年のお恵みをいただくことができました。ほんとうに感謝しております。

(よせふ・でぃん=カトリック小金井教会主任司祭)

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2017年3月21日