9月6日の年間第23主日のミサで読まれたマタイ福音書(18章15₋20節)で、イエスは「きょうだいがあなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところでとがめなさい… 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい… それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい」(聖書協会共同訳)と、段階を追ってトラブルを解決するように勧めておられます。
もっとも、これは「教会は、公正な判断力を持って内部の問題に対応すべきだし、そうである」という前提に立って話しておられるのだ、と言っていいでしょう。実際、パウロは、その前提が崩れているコリントの信徒に宛てた手紙1の5章から6章にかけての箇所で、「あなたがたが裁くべき者は、内部の人々ではありませんか… あなたがたはささいな争いすら裁く力がないのですか… 一体、あなたがたの中には、きょうだいの間の争いを仲裁できるような知恵ある者が、1人もいないのですか」(同)と嘆いています。
パウロが嘆いた現実は、現代のカトリック教会に、そして日本の教会にも見られます。例えば、長年続いている「神言会裁判」。被害女性が、神父の性暴力を教会に訴えたにもかかわらず、対応してもらえなかったとして、加害者が所属していたカトリック修道会、神言会を訴えた裁判は、16回目を迎えます。
性的虐待問題に対して司教団は消極姿勢で被害者に寄り添おうとしないことから、被害者は大きな犠牲を伴いながら、裁判所に判断をゆだねるケースは、これ以外にも、長崎教区でも仙台教区でも起きていました。
唐突と思われるかも知れませんが、江戸時代の「忠臣蔵」の話をしましょう。江戸時代中期の元禄14年3月(1701年)、「松の廊下刃傷事件」が起こります。この日は江戸城で朝廷の使者(勅使)を接待する日でした。江戸城本丸の松の廊下で、接待役の赤穂藩主・浅野内匠頭が、高家(儀式典礼の責任者・指導者)の吉良上野介に背後から小刀で斬りつける。何か許しがたい遺恨があったのでしょうか。理由ははっきりとはわかっていませんが、将軍綱吉の命により、場所もわきまえず刃傷事件を起こした浅野は即日、切腹となりました。
このあとの展開が「忠臣蔵」になります。喧嘩両成敗が当時の慣習だったのに、赤穂藩は取り潰し、吉良はおとがめなしだったので、これを不服とする赤穂藩国家老・大石良雄(内蔵助)をはじめとする赤穂浪士(旧藩士)47名は、藩主の無念を晴らすため、仇討ちを決めます。元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明に、本所・吉良邸へ討ち入り、吉良を殺害しました。
しかし幕府はこれを「仇討ち」とは認めず、「徒党を組んだ私的な復讐にすぎない」と判断しました。通常なら斬首となるはずですが、武士の体面を重んじて「切腹」という処罰となり、赤穂浪士たちは切腹し、主君と同じ泉岳寺に埋葬されました。この「赤穂事件」をもとにした芝居が皆さんご存じの「忠臣蔵」です。
文芸評論家小林秀雄の『考えるヒント』に忠臣蔵についての随想があり、「赤穂浪士の討ち入り事件後、1週間もたたぬ間に、この事件に取材した芝居が興行された」と2回も書いています。「忠臣蔵」は 人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつとなり、講談や浪曲、演劇、映画、テレビドラマになっていきました。
なぜ「赤穂事件」に取材した芝居が1週間も立たないうちに興行されたか、それは民衆の同情を買うものがあったからでしょう。浅野内匠頭とその家中の者たち大石ら四十七士への共感・同情です。演劇の「劇」はまず登場人物の心の中に生まれなければ、それを観る人々の中にも生まれない、と小林秀雄は書いています。初めに、浅野や大石らの「事件」があり、それを聴いた人々の心にも同情が湧きおこる、「劇」となった。だから芝居になったのです。
「神言会裁判」に戻ります。教会の中で聖職者による性的虐待が起こり、被害者は苦難の末に教会に訴えた。でも話をきちんと聞いてもらえない、相手にされない。つまり一人の人間としての人格の尊厳をないがしろにされた。人権侵害です。だが、教会に、教会法があり、裁判所があるのに、この訴えを取り上げようともしない。それで仕方なく、”外部”の公的な判断を求めて、裁判所に訴えた。
だが、原告の被害者は弁護人と共にこれまで15回の裁判に毎回出ているのに、被告である神言会の代表(この場合は日本管区の管区長でしょう)は一度も出廷せず、代理人弁護士に任せたまま。これでは、責任を回避して逃げている、と見られても仕方がない… 年内にも裁判所の判断が下されるそうですが、こちらは「忠臣蔵」のように多くの人々の心を打つ演劇になる話ではなく、「醜聞」としか言いようがありません。
「忠臣蔵」はこの事件を赤穂「義士」として評価しているわけですが、武士道の観点から考えてみると…。新渡戸稲造(1862∼1933)は、1984年に発行された5千円札の肖像にもなった人でクリスチャンでもあり、国際連盟事務次長を務めた人でもありますが、米国滞在中に「武士道」という本を書きました。
新渡戸は向こうの人から「日本人は宗教信仰を持たないのに、なぜ道徳心があるのか」と尋ねられたそうです。新渡戸は、「日本人の魂の根底には武士道がある」と感じてこの本を書いたといいます。武士道の中心にあるのは、義(正しいことを行なう心)、勇(勇気をもって行動する)、仁(他者を思いやる)、礼儀、忠義(忠誠)など。そして、時には自分を犠牲にしても主君や社会の利益のために動くことなどです。
新渡戸は、「忠臣蔵」の赤穂義士を「義(人としての正しさ)」を生きた人として高く評価しています。武士でなくても万人に通じる精神、普遍的な道徳性を、新渡戸は説いていると思います。「神言会裁判」においても、被告である修道会は、「義」「仁」「礼」「誠」をもって対処すべきではないでしょうか。原告に誠実に対応しようとしない”キリスト者”の信仰に、意味はあるのでしょうか。
(日本の教会を憂うる一司祭)