(投稿)ハンセン病の方々の苦しみ、人権、差別を深く知る機会となったーカトリック小金井教会有志の春の巡礼

  東京のカトリック小金井教会では信徒有志の実行委員会により、1999年5月からコロナの大感染の期間などを除いてほぼ毎春、都内や長崎、山口などへ50人規模の巡礼を続けている。今年の春の巡礼は「国立ハンセン病資料館と全生園―人権、差別を考える」をテーマに、5月12日、主任司祭同行で48名が参加して行われた。

 

 小金井教会を二台のマイクロバスで出発し、最初に、東京・東村山市のハンセン病から回復された方々がお住まいになっている多磨全生園に隣接する資料館に向かった。「患者・元患者とその家族の名誉回復を図るために、ハンセン病問題に関する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消」を目指す同館では、まず1階にある映像室で全生園入所者の平沢保治氏(2026年3月に99歳になられた)の証言のビデオを見た。彼は、「1年で病気が治る」と言われて、全生園に14才で入所。偽名を名乗ることを要求され驚いたという日常生活の体験から話が始まり、やがてハンセン病患者の人権について戦い、そして現在は啓発活動に注力されているところでビデオは終わった。

 「怨念を怨念で返せば未来はない。『赦す心』にこそ明日がある。」という彼のメッセージから80年以上全生園内で過ごされてきた彼の存在の重みを感じた。2階にはハンセン病の歴史、全生園やその他の療養所の生活の展示物が設置されている。講演直後のこともあり入所者の思いを想像しながら理解を深めることができた。

 

 昼食後、学芸員の案内で資料館を出発し、園内見学がスタート。火葬場跡(看取りを含む葬儀の作業はすべて患者作業であった。)を経由して、納骨堂へ。物故者数は4298人、そこに安置されているのは2743柱(約6割)である。故郷に帰れなかった人が多いことがわかる。そして、納骨堂に書かれている「倶会一処」(死んで阿弥陀仏の極楽浄土で共に会う、という意味)からは、家族から離れて苦楽を共にしてきた全生園の人々の強い願いが感じられた。

 

 そこから「尊厳回復の碑」(生後すぐに命を奪われた新生児を供養)を通過して、盲動線・盲動鈴の説明を聞きながら広い通りへと歩く。

 次は復元された「山吹舎」(大工である患者によって建設された独身男性用4部屋の長屋)である。およそ十二畳の広さの和室に多いときは八人が同居していたという。

 実際に和室に座ってみると、なんとなく入居者の生活の一部に触れたような気がした。玄関前の大きな石畳の小道も患者作業によるという。ここで学芸員の説明は終了した。

 

 この後、宗教地区にあるカトリック秋津教会の分教会(全生園)で野口師(カトリック秋津教会)とディン師(カトリック小金井教会)の共同司式によりミサが捧げられた。一人一人が今日の巡礼を思い起こし、二度とこのような偏見や差別が繰り返されないようにと願いつつ、「主の平和」の挨拶を交わしたのではないだろうかと思う。

 ディン師は秋津教会の主任司祭として2002年3月31日の復活祭のミサを全生園分教会で捧げ、秋津教会の信徒(100人以上)も参加している。これは全生園のカトリック愛徳会の71年の歴史で初めてのことであり、二つの教会の信徒たちの喜びはいかばかりであったろうかと想像した。現在秋津教会の信徒会館内に全生園カトリック愛徳会の資料や典礼部品の一部が保管されている。ミサ後、全生園の看護学校で学んだ聖ヨハネ会シスター星村の貴重なお話があった。車椅子の対応も万全で全員が無事教会に戻り、「巡礼終わりの祈り」を唱えて巡礼が終了した。

 

 参加者のうち60才代から80才代までが91.5%を占める。信徒の高齢化が進んでいることを示しているが、それはともかく、巡礼後のアンケートによれば、この年代の人たちにでさえ、ハンセン病についてあまりよく知られていなかったことを知るとともに、今回の巡礼で、患者となられた方の苦しみ、辛さ、そして生への願望を少しでも知ることができ、人権や差別について考える機会がもてたことを、実行委員も、参加者たちも、心から感謝する一日となった。

(カトリック小金井教会信徒 Maria Francesca)

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2026年5月28日