森司教のことば ⑧日本社会の隠れた悲惨さ

 日本を訪れる宣教師や修道者たちは,異口同音に、日本は、他の宣教地と比較して、素晴らしい国だ、と賛美する。表面的にみれば、その通りかもしれない。

 経済的には豊か、食べ物は豊富、そして生活は便利で快適である。人々の資質も、温厚で、礼儀正しく、勤勉である。また幼い頃から集団生活に馴らされて育ってきているため、我慢強く、自分の権利・主義主張をあまり表に表さない。デモなどは極めて稀である。また子供たちは、18歳まで法律で守られており、義務教育は徹底し,大半が高等学校や大学に進む。貧困のため幼い頃から働かざるをえない発展途上国の子どもたちと比べれば,遥かに幸せである。さらにまた乳幼児の死亡は少なく、平均寿命は世界一である。それは、経済の向上、治安の安定、医療技術の発展、生活環境の整備、社会福祉の浸透等々によってもたらされたものである。

 こんな日本社会を見て、宣教師たちが日本社会を肯定的に評価するのは、当然である。しかし、日本社会は、その内に深い闇を抱えてしまっているのである。それは、外部の者にはなかなか分かるものではない。

 その一つの証しが、鬱に覆われる人と自殺者の数である。

 鬱に覆われる人は、6人に一人とも言われてしまっている。また自らいのちを絶ってしまう人は、一時期より減少はしたが、自殺率(人口10万単位)の国際比較をみると、旧ソ連邦の国々を除くと、日本は、あいかわらず、先進国の中では上位にある。

 この数字を2003年以降のイラクの民間人の犠牲者の数と比較してみれば、日本の悲惨さがさらにはっきりと見えてくる。

 民間調査団IBC〈Iraq Body Count〉によると、イラク攻撃が始まった2003年から2010年までの7年間の民間人の犠牲者つまり死者の数は10万人近くになるという。ところが、その7年の間では、日本では30万近くの人々が自ら命を絶ってしまっているということになるのである。つまり、混乱するイラクを悲惨な社会というならば,日本は、それ以上に悲惨な国ということになるのではなかろうか。

 日本社会をそのような状態に追いやってしまった元凶は、経済的な発展と利益を最優先にしてしまう価値観とその論理にある。それをそのまま受入れて走り出し,国全体が、その論理にそって社会全体を組織化し、〈日本株式会社〉と揶揄されるほどに、一つにまとめてしまったことにあるのである。それが、人の心を蝕み、日本社会に大きな歪みをもたらしたのである。

 家庭も学校も地域社会も、本来は、人間一人ひとりを支え助ける役割を負っているものである。ところが、それが、利益と効率を目指す競争の論理に蝕まれて、本来の機能を果たせなくなってしまったのである。

 そのため、家族の絆は希薄になり、地域社会での人と人とのつながりも弱まり、弱者は、軽視されたり無視されたりして片隅に追いやられるようになってしまったのである。すべての自殺者の背後に見えてくるものは、人間としての尊厳を無視された絶望と支えを見失った人間の孤独である。

 今の日本社会が必要としている福音は、「天の父は、一人でも滅びることは望まれない」という人間の尊さを訴える愛の福音と柔和なキリストとの出会いである。

(森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)

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2017年2月24日 | カテゴリー :