私の八十寿祝いにいただいた特別の贈り物は、 進行した癌という病でした。(写真は、混雑する病院のロビー)
昨年8月末日、 赤波江神父様をお招きして久々に日本語のミサがありました。 神父様をご案内して会場に向かう途中急に左膝の力が抜けて歩行困 難に、なんとか会場に辿り着いたものの皆さんの力を借りて、 感謝のミサの、信仰で結ばれた暖かい家族の集いでした。
その後、病院で、膝と、前から気になっていた拳大の癌らしきものを検査してもらったら、「大病院で至急処置が必要」との診断。ビザ更新を間近に控えていたので、ぐずついていましたら、「 命とどちらが大事か」と厳しい言葉。
修道院に近い大病院と指名されたプーミポン病院にお世話になることにしました。書院の帰り、よく居眠りして乗り過ごした前国王様の名がついた病院。まさかそこに入院して手術を受けるとは!
外科と癌科に通院。手術には危険な大きさになっており、手術 可能な状態に小さくなるまで化学抗癌治療を受けました。
プーミポン•アドンヤデート病院は1949年、 空軍基地内に軍隊と家族のために設立されました。 現在は民間にも開かれ、700床の入院患者に対応する国立総合病院 です。
医療界の詳しい事情は分かりませんが、 ほんのわずか身を踏み入れての体験からの気づきを書いてみたい、と思 いま
す。
(写真は、看護科実習生からのお見舞い)
病院は、早朝から庶民でいっぱいですが、高齢者と僧侶・修道者には治療を優先し、負担額についても配慮してくれます。 私の場合どちらにも該当するので、 順番を飛ばし、医療 保険からの支払いを受けられない「外国籍で現金払い」の私を心配してくださって、 書類をあちこちに回して削れるだけ負担を削っていただき、入院中の食費も支払いが免除されていました。 残さず頑張って全部食べたのに…姉妹と笑いながら感謝。
数年前、山岳地出身の姉妹が「入院して手術を受けた際、身分証明書の住所( 自給自足の現金収入のない地域)を見て費用を免除され、 びっくりした」と話してくれました。
待合室には志で用意されたおやつと飲み物、 読書コーナーがあり、 玄関のロビーの1坪程の特売所での売り上げは病院へ寄付され、 貧しい人の治療費援助に当てられる。 毎週金曜日は特大規格外サイズの卵の販売、 黄身が2つか大きな黄身!「少しは貢献ね」といつも買っています。
私の外科、癌科ともに主治医は素敵な、溌剌とした女性医師です。病院長も女性で、医師、看護士、職員全員が空軍の軍人です。 若手の医師がずらり、テキパキと治療にあたる姿、 軍の病院の方針かなとも思いますが、頼もしいです。
私の病棟のスタッフのチームワークの良さ、 看護に込められた親身の心、 5人部屋の仲間と、居心地良く過ごせた6日間の入院生活でした。 手術4日目に廃血液の管に繋がれ、ボトル2つぶら下げて退院し、 術後の結果は良好、治療を続けています。
先日カトリック新聞で読んだフランシスコ教皇の言葉を思い出し希 望と安らぎに満たされます。
「病者の方々を見捨てて、 医療ケアを受ける経済的余裕がない人を助けない様な冷ややかな世 界には、未来はありません。…医療ケアはぜいたくなどではなく、 あらゆる人のためにあるのです」。
コロナが収まって帰省できる日まで待てず、 派遣されたタイで人生終盤の病院通い。実に恵み深い八十寿の初体験でした。Deo Gratias!
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
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