仏教国タイにおける僧侶は、国と民の運命を決めるほどの存在で、 天と地の仲介をする役割を持つ、と信じられています。冠婚葬祭の祭 儀を行い、人々の誕生から生涯の終わりまで、喜びにつけ、悲しみに つけ、祝福と祈りで、人々に寄り添う存在なのです。
日本の仏教とは随分違っていて、葬儀、お参り、結婚式他、国を挙 げての儀式に参加する度に感嘆します。話には聞いていましたが、 コロナ禍で日本の新郎の両親が出席出来ないため、親代わりに村を 挙げての結婚式に与りました。僧侶の並ぶ前で結婚の儀式、 目の前に繰り広げられる
しぐさ、祈りの意味は分かりませんが一部 始終に頷くものがありました。
早朝から街中を裸足で歩き、祈りながら人々の生活を見守り続ける 僧侶の姿が普段の生活の中にあることの意味は甚大です。
国は40万余の僧侶の生活を保障し、3万の寺院僧院を維持し、ま るで国と国民を守る”魂の親衛隊”のようです。僧侶が修行に励み、祈 祷に集中できるよう配慮し、国民はこぞってお布施や奉仕に惜しみ なく尽くします。
確かに僧侶の生活は入門儀式から始まり、厳しいものです。 277の戒律と10戒を遵守します。持ち物も最小限、衣類も袈裟 のみで、質素です。
禁じられている所持品はー金銭宝石類、酒類、女性のポスターほか女 性に関する物、ナイフほか命を絶つ武器、楽器。禁じられている行為はー自慢話をする、嘘をつく、正午以降に固形物を口にする、自分の衣類を女性に洗濯させるない、などなど。
所持すべき品の中に「自分の繕い物するため裁縫具」とありました。まるでト ラピストの修道士です。
タイ仏教は、人間の精神を煩悩や執着から解放し、研ぎ澄まし、極め る修行の教え。修道者の完徳の道とぴったり合い、近しく感じます。カトリックの観想生活のような貴重 な役割を担う存在だと思います。
自分の罪深さを謙虚に認め、赦しを乞う入門の儀に始まる僧侶の道 を想いめぐらしながら、私の待降節を始めます。苦しみ悲しみ、 問題渦巻く社会に、全ての人の裡に、 救い主イエスの訪れを心よりお祈りいたします。Buon Natale!
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
(写真右は、カトリックの神秘家の本を愛読され、聖人を尊敬し