・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」㉕神様の確かな計らいを拠り所に、後向きで歩いてみませんか

  人生の面白い進み方(前進の仕方)を学び、合点が行き、私の視座がひっくり返った事についてお話ししましょう。実に愉快になる考え方で人生の後半戦に役立っています。 久しぶりに再読した雨宮慧神父様の「旧約聖書のこころ」。「聖書の民の知恵」からの学びです。

 存在する全ては時の流れの中にありますが、人間だけが自覚して未来を思い巡らし計画を立てる、確かに。不確実な将来、期待と希望を持って生きるしかない、ではいかに? 聖書の民は、約束を成就され導かれ「一歩一歩を備えてくださる」(箴言16章9節)神に、全幅の信頼と希望を懸けて歩んで来ました

 聖書学者の著者によるヘブライ語の聖書の時間把握の説明が実に面白くて腑に落ちるのです。 「ヘブライ人はわれわれとは異なり、過去を目の前に見て、未来を背中の側に置いている。過去の出来事は確かな事実として人の手の中にあり…未来は違う」その「過去をヘブライ人は重視する」「未来を背に、過去を目の前に生きる者は、いわば後ろ向きに歩く者だ。手を取って導く者がいなければ怖くて一歩も進めないだろう。我々の導き手は神である」と雨宮師は説明します。歩きにくい姿勢ですが、神の数々の心憎いご配慮を手に取れるようにしながら、後ろ向きで進む、私たちの歩き方とは真逆です

 「聖書の民の知恵」に導かれ、じっくり考えてみました。前方を見つめ風を切ってひたすら進んで来た過ぎし日、神様の実績が刻まれていました。取るに足らない、しかし神様に導かれた自分の人生劇が、走馬灯のように胸の内によぎり、感謝がこみ上げてきます。あちこち走り回った83年の自分の人生、特にタイ国宣教での30年の日々を思うと、小躍りしたいほど、うれしい「聖書の民の知恵」です。

 「確かめることのできる過去に目を凝らす。神の行われた技を一つ一つ思い返す時、魂は神に向き導く者の愛を見つけ出した時、未来を生きる力が出る。」(169頁)

 読者の皆さん、過ぎし日々の神様の確かな計らいを拠り所に、今日ここに在ることに新たな感謝を捧げながら、後向きで歩いてみませんか?

*引用は、雨宮慧著「旧約聖書のこころ」(女子パウロ会出版)より

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

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2026年6月1日