タイで「水」と言えば、縦横に走る大河や運河があり、人々の生活文化と経済発展に大いに影響して来ました。タイの人々の水との親しみに触れ、水への意識と感性が豊かになったように思います。
「นำ้(ナム)」( 水)という言葉を付けて、「心優しい良い人」を指し、「浄化と敬意」、「幸運を祈る」意味に使われています。
仏像に水を注ぎ、心身が清められ、年長者の手に水を注いで敬い、厄を払い魂の浄化や煩脳を洗い流すなどの儀式もあり、金や銀の器に花びらを浮かべた水を用意し、小さな容器に掬って相手の手に注ぐのです。
弔いの時、納棺の前に亡くなった人の右手に水を注ぎ、故人に赦しを乞い、安らかな永眠を願う儀式を初めて見た時、親しみと絆を感じました。
婚約や結婚の儀式にも花びらを浮かべた水注ぎの儀式があり、祝福と感謝、喜びを表します。
タイ正月(4月13~15 日)は暑い最中に祝われ、「水かけ祭り」とも言われます。水を注ぎ合い、水をかけ合って悪いものを流し、清らかな新年を迎えるのです。そう言えば、お向かいの聖ミカエル教会でイタリア人の神父様に思いっきり水をかけられ、びしょ濡れになったことがありました。大人も子供の様に水遊びをして、正月のお祭りを楽しむのです。
10~11月の満月の夜に行われる水の祭典、ローイクラトン(ลอยกระทง)という灯籠流しもまた、水への感謝と粗末にしたお詫びをする美しい祭典です。11月の満月の頃、線香とローソクを灯し、バナナの葉や花で飾った灯籠を川に流し、感謝と希望を捧げ、罪や穢れ不運を流す祭りです。今年は11月22日の満月の日、気候も観光に適した凌ぎやすい時節です。
アニミズム(精霊信仰)と仏教の浄化思想に深く影響された、「水に宿る強力な命の霊」への人々の信奉、大切なことだなぁ、と思います。
日本の神学生や大学生を伴い、十数年間、毎年の様にタイ北部の山岳民の村に入り、体験学習や教会造りの手伝いをしていました。電気も電話もない別世界、夜空には満点の星、清らかな美味しい水がありました。湧き水を手で掬って飲んだ味わいは忘れられません。北タイの山岳地帯の水は、非常に良質であるとの調査結果も出ています。
「命の水」と言えば、お茶を立てる時、先ず水窯(かめ)を少し低めに抱えて茶室に入ります。「水窯は、命の水である救い主イエス様を宿した聖母マリア様だから、大切に抱えるのよ。茶席で一番大切、先ず水窯を携えて挨拶して始めるの」とは、茶道とキリスト教との深い関わりを探りながら茶道教授をしていた母の水窯の教え。
「水を掬(すく)う」-救いの命の水を両の手で掬い、満たされて生きる習慣、コラムを書いている今日、改めてこだわる覚悟です。
「イエスは言われた。『私は…命である』」(ヨハネ福音書14章6節)
(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)