・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑪ タイの村で少年だった男性が、横浜・山手教会のミサで私を見つけた!

   タイ国の最高峰ドーイインタノン (ดอยอินทนนท์) 海抜2,536m。北部チェンマイ県の西、メーホンソーン県に隣接した山岳地帯に聳え、国立公園に指定された地帯もあり、動植物が生息し自然が美しく、亜熱帯地方の天国です。

 初めて訪れたのは2000年、長崎コレジオ神学生のボランティア•スタディーツアーの下見のため。初代の溝部院長が仙台教区司教になり、代わって院長になった故中島健二神父様と同伴の中村満神父様をお連れして、最高嶺を超えて西へメチェムに下り、更に山奥のカリアン山岳民のディンカオ村に行った時です。

 バンコクの見渡す限りの丘一つない平地、中心部は高層ビルの谷間に住んでいた私にとって、故郷福島の山に囲まれたような感激でした。その翌年から2016年春まで毎年、十数人の神学生と大学生を連れて登り降り、曲がりくねった道を車で5時間余で山岳民の村々に入り、村人と教会造りの手伝い。電気も通わぬ山奥、大自然と村人の懐で衣食住を共にし、感謝のミサを捧げ、祈り語り合い、汗を流して筆舌に語り尽くせぬ体験をしたのです。

 1日の終わりローソクの光でその日の体験を分かち合い夕の祈り…。まさに「Laudato si’」の醍醐味。その思い出を胸に、今は司祭、社会人として輝いて生きている事でしょう。

 先日、横浜の山手カトリック教会を訪問、タイで受洗し親しくしている友人夫妻と久しぶりに会い、ミサに与かりました。そしてミサ後、感動の出会いがあったのです。2012年2月末にコレジオ神学生と行ったメーニングクラン(บ้านแม่นีงกวาง)村の青年が、ミサに出ていたのが私だと確信して、聖堂前で待っていてくれたのです―人口48人12世帯の改宗したばかりのカトリックの小さな村、「ぜひ教会を建ててあげたい」とのナタポン神父の希望で訪れた村でした。その頃は少年だった愛称スマート君、ミサ中に私を見つけ、「モド(カリアン語でシスター)ヨウコだ!」と。

 彼は数年前、タイで現在の仕事に応募、今横浜で働いているのです。数人の神学生は叙階して立派なパド(カリアン語で神父)になっています。村人達の祈りの声援は今も届いているのを感じます。

 当時、「イエス様への同じ信仰が、私たちを出合わせてくれた」と、どこの村人も感慨無量で語ってくれました。時空も言語文化の違いも超えて結ばれ、共に祈りを捧げるカトリックのすごみですね。
タイでの宣教生活での一コマ、日本の青年たちとの山奥での思い出が蘇ります。イエス様を信じる喜びを胸に、日々復活の命を生きて行きましょう。Happy Easter !

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

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2025年4月5日