「สวัสดีค่ะ=サワッディーカ」と女性の場合、男性の場合、「สวัสดีครับ=サワッディークラップ」と言いながら、合掌する仕草であいさつ。タイ国の日常的習慣、朝から晩まで同じあいさつ。30年も日々繰り返し、すっかり身についてしまいました。
このあいさつをタイ語で『ワイ=ไหว้』をすると言い、尊敬、好意を表す動作です。胸の辺りで合掌して頭を下げるのですが、自分との関係によって、合掌する手の位置が胸から顔、額へ、会釈からさらに頭を深く下げるのです。蓮の蕾の様にふっくらと合掌した手が高く、頭を下げるほど敬意を表すことになります。
タイに行って間も無い頃、教えられたように合掌し、あいさつすると、「シスターは自分からワイをしちゃダメ」と注意されました。 社会的身分(聖職者はワイを受ける立場)を考え、社会の秩序を守ってワイをしてください、と。子供や学生には、軽くうなずき、微笑み返す。王様や僧侶は受けるだけ。なるほど!
合掌してあいさつする仕草はすぐに馴染み、気持ちを込めて親しみました。拝むような気持ちで話しを聴くことは普段から心がけていたので、敬う姿勢をすっかり気に入り、タイの文化習慣や言語にもはまり込んでいきました。
このワイ、実は人造語で1931年ラジオ放送開始の折、チュラロンコン大学文学部のニム•カーンチャナチーワ教授が、放送終了時のあいさつとして考案したもの。サンスクリット語の「吉祥」という言葉をタイなまりで発音し、語尾をดี(ディー=良い)に変えて「良い吉祥」とし、放送局内で出会いや別れのあいさつとして交わされるようになり、庶民にも浸透しました。1950年にタイ学士院辞書編纂会議で「タイ語には元々、あいさつ語はないが、もしあるとすれば『サワッディー』以外考えられない」とされ、あいさつ語として定着していきました。
社会のしきたりを考慮することは、独自の文化や国境を超える人々との関わりの中で、平素、気遣うべきマナー。自分主体の常識を脇に置いて、多種多様な常識に柔軟な対応を迫られます。50歳からタイ国で30年、国際社会バンコク、東南アジアの文化の合流地点に移り住み、私の頑固さも随分と柔らかくなりました。同時に、揺るがない福音の普遍の精神に深く根差して生きるようにと、導かれたように思います。変えられ、譲歩できる事ごとを削ぎ落とし、「真理に根差した自由」を少しは味わえるようになりました。
便利至極な日本社会ですが、人間関係や構造は複雑至極。毎日曜、教会を訪問し、一緒にミサに与り、同じ信仰を持った仲間たちと目を輝かせて出会う、本当に嬉しいですね。
ちなみに、聖体拝領の時は、心を込めてご聖体の主に最高の深いワイを捧げています、タイの人々を心に抱きながら…。結び目を解く聖母マリアにご保護とお導きを願いつつ、今、祖国で再出発、人々に心からのワイを捧げながら、日々福音宣教に励んでいます。
(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)