・Sr.石野の思い出あれこれ ㉖ローマでの修道誓願から2か月で帰国、志願者養成の担当!

 修道誓願宣立は、私の生活にとってピリオッドではなく、一つのコンマにすぎない。これによってまた新しい扉が開かれ、ある意味で新しい生活を始めることになる… そんなことを思いながら、およそ二年間のローマ生活を振り返り、まだ興奮冷めやらぬ日々を過ごしていた。

 柔らかい緊張感に包まれた喜びと感謝、恵みに次ぐ恵みの二年間。これからまた心機一転、しばらくの間たくさんのことを学びながらローマでの生活を満喫したい、と望みもし、そうなると思っていた。ところが、み旨は違った… 「できるだけ早く日本に帰ってきてほしい」というのが日本側の望みだった。

 当時、修道生活は「この世から隔離され、規則と沈黙が支配する厳しい生活」と思われていた。実際、ほとんどの修道会の生活がそうであった。「現代的」と言われる聖パウロ女子修道会とて、大きな違いはなかった。しかし、聖パウロ女子修道会は20世紀の初めに創立された比較的新しい修道会で、100%とは言えないが、ある程度、世間との接点があった。コミュニケーション手段を用いて福音を宣教したり、よい書物を普及普及するために世に出て直接人々に出会って話したりで、多少は現代の社会と足並みそろえていた。

 そんな修道会だから、現代的で、風通しの良い修道院での生活を希望する若い女性が多く入会してきた。ところが、これらの志願者を養成するための日本人の立誓者が一人もいない。だから「ローマで養成されて誓願を立てたシスターが一日でも早く欲しい」というのだ。

 誓願を立ててからおよそ2か月後、私は後ろ髪をひかれるような思いでローマを後にし、日本への帰路についた。

 「日本に帰ったら、あなたは志願者の養成担当になります」。ローマの空港まで見送ってくれた修道会の総長が、空港で私をそっと脇に呼んで、こう告げた。私は衝撃を受けた。誓願を立てたばかりの私が養成担当者に?誓願を立てて正規の会員になったとはいえ、まだホヤホヤのシスターなのに。考えるだけで気が重くなった。

 誰にも言えない大きな宿題を胸に、私は機上の人となった。東京に戻る途中で立ち寄るマニラ行きのフィリピン・エアー・ラインだった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

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2020年8月30日