むつみの家 -重症心身障がい者施設-に8歳の時に入所し、昨日、31歳で帰天したM.T.さん。本部のシスターたちと一緒に、通夜、葬儀に参列した
M.T.さんの障害は非常に重く、痙攣すると、足が背中につくほどエビなりになり、何とかリラックスさせてあげたいと、医者、看護師はじめ、すべての職員が心を砕いてきたそうだ。
話すことは出来なかったが、体の調子が少し良いときのM.T.さんの「ほほえみ」は、周りにいる人たちを「癒して」くれた、と、お別れ会で看護師長さんが涙ながらに語り、ひつぎの中のM.T.さんに、何度も「ありがとう」と言っていた。
葬儀 施設ホールでの「お別れ会」 には、家族、親族、職員と共に、むつみの家の入所者の方々が ベッドや車いすで運ばれ、参列した。家族も、職員も、献花の花に囲まれた、ひつぎの中M.T.さんを見ながら、手を合わせ、泣いていた。
普通、この世で人々が「望むこと」-お金、権力、地位、快適な生活、幸せな結婚-の、どれ一つも約束されず、痙攣で苦しみ、ベッドの上で看護される、M.T.さんの、文字通り「生き抜いた」一生。そのM.T.さんの、まったく野心も利害もない、ありのままの「ほほえみ」が、周りのわたしたちの心を癒した。優秀なお医者さんや看護師さんたちが、この、「何も出来なかった」、でも「ほほえみ」をくれた、M.T.さんとの別れに涙する。
看護師長さんは、「もっと一緒にいたかった。もっと生きていてほしかった」と、率直に言っていた。
施設のホールでの、簡素な「お別れ会」。ベージュ色の、小さな、優しい表情で手を広げているマリア像の、その、開かれた手に囲まれるように、M.T.さんの棺が置かれていた。M.T.さんの顔は、どこか静かで、おだやかだった。その、生き抜いた「いのち」は、多くの人々の優しさによって受け入れられ、抱きしめられてきたのだ、と感じた。
「いのち」の不思議さ… 一つの、本当に、この世に「たった一つのいのち」の神秘。さまざまな障がいをもった方々と接していると、与えるよりも、与えられるものが、いかに大きいかを知らされ、驚かされる。
食事も排泄も一人では出来ず、痙攣でエビなりになり、苦しい、痛い… それが、31年間、毎日。そのMTさんを、少しでも楽にしてあげたい、と、お医者さん、看護士さん、スタッフたちは一生懸命だった。そして、M.T.さんが、楽になって「ほほえむ」と、周りがパァっと明るくなり、苦労も忘れる。そんな、毎日。
何の解釈も、何のコメントも要らない。「いのち」の不思議さを、分析したり、切り刻んだりすることは、出来ないから。今日、一つの、生き抜いたいのちが、天に帰っていった。たくさんの、たくさんの人々に感動を与えながら。
「いのち」は不思議だ。そんなに大切な、この世にたった一つの「いのち」をいただいているわたし、わたしたち。その「いのち」を一瞬一瞬生きて、生かされているわたし、わたしたち。
M.T.さんに、そして、M.T.さんに関わってきた家族、スタッフの皆さんに「ありがとう」。
祈りつつ
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)