・ChrisKyogetuの宗教と文学 ②Bon Jovi「Livin’ On A Prayer―祈りながら生きる」の深い意味

Livin’ On A Prayer

We’ve gotta hold on to what we’ve got

It doesn’t make a difference if we make it or not

We’ve got each other and that’s a lot for love

We’ll give it a shot

今あるものを手放すな

成功するかどうかはどうでもいい

俺たちは愛し合っているんだ

やってやろうじゃないか

(Bon Jovi)

 今回は歌詞になるわけですが、ボンジョビのLivin’ On A Prayerは、今の時代こそ取り入れるべきではないかと思います。この歌詞には男女の恋人が登場します。「それほど昔の話ではないけれども、彼氏が港湾労働で働き、彼女がダイナー(アメリカのプレハブ式のレストランのこと)で働いている」という始まりですが、かつて二人には夢があって、男はギターを売っていて、これだけで二人のなれ初めが見えてきます。歌詞では「これはそれほど昔の話ではない」となっていて、この二人が現在、どうなっているのかは分かりません。

 けれども、バッドエンドを聞かされていない観客は、力強いサウンドや歌詞の連想から「二人は抜け出した」と信じたのだと思います。この曲の発表は1986年でしたが、グループの予想外に大ヒットしたようです。80年代といえば、アメリカ経済にはレーガノミックスの期待がありました。夢のような想定を80年代前半に立てましたが、思ったほどの効果は出ませんでした。大きな負債となった「双子の赤字」というのも、学生時代に勉強した世代もいるでしょう。

 常にポップカルチャーには若者の「反抗」が存在していますが、それが情熱を表していることがあります。夢を追った後の二人が苦労しながらも「Livin’ On A Prayer―祈りながら生きる」には、深い意味があります。

 私はシモーヌ・ヴェイユが好きなのですが、彼女は哲学教師でありながら炭鉱夫の労働者を支援し、過激なこともしたために逮捕もされ、工場生活に入りました。頭痛持ちの彼女の書いた「工場日記」はキリスト者なら読むべき一冊だと思っています。ヴェイユは、重力と恩寵(カイエ)で「労働者に必要なのはパンよりも美と詩である」と言いましたが、それについて、視点を変えてみれば「詩も何か役に立つ」という意味で捉える人が多いのですが、全く違います。

 ヴェイユは、労働者にとって「信仰も、詩も、何の意味もない」という現実を知っていました。工場日記で、ヴェイユは「睡眠が労働にとって一番必要である」と書き残している。「労働者こそ詩が必要」というこの言葉は、机上の空論で祈るキリスト者や、哲学を上流階級しか教えない社会への、彼女の「反抗」でしょう。これは「荒れ地でも、信者として種をまけるのか」-伝道への挑発に繋がっているのだ、とキリスト者なら気づかねばなりません。ヴェイユは「貧しい労働者のところにイエスがいる」と信じていました。それは、どういうことなのか。人間の技術的な進歩があっても、奴属の状態から脱していない、ということについて、「それがキリスト教ではないか」とペラン神父に手紙を書いています。

 しかし、カイエに記されている「労働の神秘」などと他の記録と比較してまとめると、「奴属の状態とは、永遠から差し込む光でもなく、詩もなく、宗教もない労働である、ということ、労働を通じて、人間が物質になること。キリストが聖体の秘跡を通じて、そうなるように」とも書かれてあります。自分が疲弊しているのと同じように、イエスが疲弊したことにも、注目しなければなりません。旧約聖書の「主」には肉体的な疲れが見えませんでしたが、イエスはゴルゴダの丘を上って行きます。

 Livin’ On A Prayerの歌詞に戻りましょう。この二人も自分のためだけではなく、お互いのために働いていました。歌詞には「逃げたい願望」も表れています。自分のために過酷な労働をしてくれる存在がいる、ということは、神聖なものが自分のために、何も疲れずに祈ってくれているわけがない、ということを知ることにつながります。愛は自分視点だけではなく、自分のためにも働いているのです。それは一回の祈りや善行で恩は返せない、それがイエスだと思います。

 最後になりますが、歌詞に書かれてあるWe’ve gotta hold on to what we’ve got(今あるものを手放すな)というのが、私にとってはマタイによる福音書25章の「タラントンのたとえ話」と重なりました。「誰でも賜物(タラントン)を与えられている」という有名な話ですが、主人を恐れて、預かったタラントンを運用して増やそうとせず、土に埋めておいた僕に、主人が「誰でも持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる」と言い、タラントンを取り上げて、外の闇に追い出します。これを残酷に捉える人も多いのですが、「本当の意味はこうではない」と言い切るのは嘘なのかもしれません。残酷ですが、本当に、「持っているもの」も取り上げられる… 常に私達は、その危機感を持っているべきだと思います。

 愛について、単純に言えませんが、自分の内に留まるものではありません。分け与えて循環していきます。それも神から与えられた「賜物」だということを考えました。賜物とは自分に与えられたものだけだ、と思いますが、それでは他人と繋がれません。タラントンを増やす過程とは、「友愛にも恋愛にも通じる、全て神の恵みだ」と信じたいところです。

 イエスが示される道は、痛みもありますが、喜びもあります。この貧しい二人が歌詞の通りに、しがみついたものはそうだったのだと思います。現代なら、「稼げない二人は別れるべきだ」と言われることも多々あるでしょう。しかし、二人は「祈り」は諦めないということ、愛だ、と言えるように、お互いが奪われないように、その強さが共感を呼んだのだ、と思います。

*参考 https://www.youtube.com/watch?v=VHOiwqYQAiY(Livin’ On A Prayer 和訳つき)

(Chris  Kyogetu)

 

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2023年5月24日