・神様からの贈り物 ⑲街のどこかにいるクリスチャンを思うと、心強くなれる

 十字架のネックレスを首からかけている人を見ると、思わず声をかけたくなってしまう。「あの人も、クリスチャンかもしれない」と想像すると、胸が暖まり、自然と頬が緩んでしまう。しかし、最近はファッションとして十字架をつけている人もいるので、そっと見送ってしまうことが多い。

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 私はリハビリのために、障害者施設に通っている。その施設とつながりのある福祉施設の『感謝会』というイベントに招待された。キリスト教系の団体が立ち上げた地域活動支援センターで、精神障害を持つ方々の居場所として運営されている。

 私は、神様の話はできなくても、「ここにも信者がいる」と気づいてほしかった。その目印として、こげ茶色の紐で編んだ手作りの十字架のネックレスをつけていくことにした。私の作戦はうまくいき、『感謝会』では何人かから話しかけてもらえた。その施設の英語の先生から「素敵な十字架ですね。手作りですか?」と質問された。「私の姉が作ってくれました」と答えると「beautiful!!」と、弾けるような笑顔で返事をしてくれた。

 その様子を見ていた女性の職員も、話の輪に入った。私たちはしばし談笑し、彼女は去り際に小さな声で「クリスチャン?」と聞いた。私が「はい」と、目を見て答えると、職員は「私も」と、優しく微笑んだ。たった数秒のやり取りだったのに、ずっしりと重みのある特別なプレゼントを受け取った気持ちになった。

 ふと私は、「遥か昔の隠れキリシタンたちが、同じ神を信じる人を思いがけず発見したとき、こんな気持ちになったのかも知れない」と想像した。

 今の日本では、宗教の自由が保証されているので、迫害されることはない。けれども、クリスチャンの数は少なく、信じる神が違う人たちに囲まれていると、ちょっぴり心細くなることもある。そんな時、この街のどこかに、同じように祈る人がいることを思い出すと、「よし、今日も頑張ろう!」という気持ちになれる。

 そしてまた、十字架のネックレスと共に、出かけたいと思った。街の中でも、同じ神様を信じる人を見つけたいし、私のことも見つけてほしい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

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2025年2月28日