日が昇り、朝の家事を終えた頃、机に置いたスマホの着信ランプが光った。私の胸に、ドキッと緊張が走った。知らない番号からの電話だったからだ。過去に、迷惑電話が頻繁にかかってきた時期があったので、警戒心が強かった。
しかし、電話番号を検索してみて、驚いた。なんと母校の番号だった。留守電を聞いてみると、「校長です。あなたからのお手紙が届いたので、お礼に電話しました。もしよかったら、電話ください」というメッセージが残されていた。その声は、私の在学時に、教頭先生だった方の声だった。
私は、すぐに折り返し電話をした。自分の名前を告げ、つい先ほど校長先生からお電話をいただいたので折り返した旨を伝えた。事務員から「少々お待ちください」と言われ、ドキドキしながら保留音を聞いた。「私は、大勢いる卒業生のひとりに過ぎない。事務員さんが、直接、校長先生に取り次いでくれるなんてあるのかしら?」と気が気ではなかった。しかし、それは杞憂だった。
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「三品さん? 私だけど。お手紙届きましたよ。素晴らしいですね!」
ごく自然な呼び掛けに、まるで目の前に先生がいらっしゃるような気持ちになった。懐かしい声に、胸の辺りに熱いものが込み上げた。
手紙を書いた経緯は、「カトリックあい」で書いたコラムを、先生にも読んでほしかったからだ。電話では、帰天したシスターのことや互いの近況などを話した。私は、しばし22年前に戻ったような気持ちだった。
電話を終える直前に、先生からある質問をされた。「あなたは、仕事についてはどう考えているの? 時々、卒業生が仕事を頼みたい人を探していることがあるんですよ」。そう尋ねられたものの、この言葉に、私はどう答えていいのか、分からなかった。
発達障害や学習障害などの診断がされてから、社会でうまくやれない原因は分かったものの、働く自信が、まるで無くなってしまった。心身の状態も決して良いものではなく、主治医から一般的な就労の許可は出ていない。それでも、私には社会の役に立ちたい気持ちがあった。
先生は、私の迷いを感じ取ってくださったようだった。「もし必要だったら、連絡しなさいね。それ以外でも、何かあったら、私に電話しなさいね」。その時、受話器の向こうからチャイムが聞こえた。学校の一時間目の授業が始まる時間だ。先生の声と鐘の音が重なる。先生は、「もう行かなくてはいけないけれども、あなたと話せてよかった。しっかり話せた。電話をくれて本当に良かった。いい? 何かあったら、電話しなさいね」と、念を押して電話を終えた。
目頭が、じわっと熱くなった。目の縁に、みるみる涙がたまっていくのがわかった。それらは、まもなくボロボロと音を立てるようにこぼれ落ちた。通話時間が12分◯秒と表示された。この短い電話が、凍った心をゆっくりと溶かし始めた。
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あれから一年、私は今月、福祉的就労ができる作業所へ見学に行く予定だ。一般就労までの道のりは、まだ遠い。けれど、私は一歩を踏み出すことにした。次回は、先生に嬉しい報告ができそうだ。
(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)