・神様からの贈り物⑳ 桜が咲くころの思い出、神様からのヒント探しを楽しみながら…

 桜が咲く頃になると、決まって思い出す出来事があった。

 20年以上前の私は、晴れて志望校に合格し、入学式を終え、学校のオリエンテーション合宿へ行った。クラスメイトたちは、まだ互いをそんなに知らない同士だったが、わさびソフトクリームを食べたり、夜中まで女子トークを続けたりと、まるで旧知の仲のように盛り上がった。学年全員が入れる大きなお御堂では、みんなで『ガリラヤの風かおる丘で』を歌い、初めてキャンドルサービスを体験した。小さな炎が、次々と広がっていくのを目の当たりにして、静かな感動を覚えた。

 私は、校長先生の講話が大好きだった。生きる意味や、自分らしさ、自己実現などを考え続けてきた私にとって、先生のお話は、興味深いものにあふれていた。

 合宿中のある日、クラスごとの集合写真を撮ったあと、私は個人的に、ツーショットで校長先生との記念撮影をお願いした。校長先生は、「私でいいの?」と少し驚かれた様子だったが、快く引き受けてくださった。とても嬉しくて、中学卒業直後の同窓会で、同窓生たちに校長先生との写真を見せて回った。

 帰宅後、私は舞い上がって、校長先生へ写真と共に手紙を書いた。「私はまだ祈りのことは、よく知りません。でも、マリア様は私にとって憧れの女性です」と書いた。校内には、赤ちゃんのイエス様を抱いたマリア様のご像がいろんなところにあったので、すっかり知った気になっていたのだ。

 後日、校長先生から、お返事が担任の先生を通じて届いた。きれいな便箋に、写真のお礼とこんな言葉が書かれていた。「聖母マリアは、私たちのどんな祈りも聞いてくださっていますよ」という言葉を読んだとき、私ははっとした。「そういえば、聖母マリアのことを『イエス様のお母さんだ』ということくらいしか、私は知らない… 顔だけでなく、耳まで真っ赤になるのを感じた。

  それから、入学時に生徒全員が買った聖書を、授業以外で初めて開いた。一生懸命読み進めたが、マリア様についての記述がほとんど出てこないことに気づいた。「カトリック信者の人たちは、どうやってマリア様を思い浮かべるのだろう? マリア様について知りたい!」と思った。

 知ったかぶりが、聖書を自発的に読むきっかけになったのは、思わぬ恵みだった。また、自ら気づき動けるような対応をしてくださった、校長先生の思慮深さには、頭が下がる思いだ。

 答えを与えるのではなく、自分で答えを見つけられるように導くのは、それを教える側にとって根気のいる作業だ。神様も同じ思いをされているかもしれない。ならば、日常には、神さまからのヒントがたくさんあるかもしれない。見つけようとすれば、見つかるはず。そのヒントを探すのを楽しみながら、毎日の生活を送りたい。

(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)

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2025年3月31日