6年前の深夜1時ごろ、友人から久々にメールが届いた。「私たちのUちゃんが、ガンで亡くなりました。以下、ご家族からのメールを引用します」という内容だった。まだ30代だった私は、自分と同じ年の友人が若くして亡くなるなど、頭の隅にも想像していなかった。
Uちゃんとは、20代の半ば頃、共通の友人を通して知り合った。あの頃の彼女は、舞台に立つことを夢見ていた。舞台俳優の島田歌穂さんと同じ誕生日なのが自慢だった彼女は、優しさゆえに、周囲からも信頼を置かれていた。特に、メイクが上手だった。「彼女が、クラスメイトの顔にお化粧をしてあげると、みんな笑顔になり、自信を持った表情に変わった」と、共通の友人が話していた。
私たちは、短期間で濃密な友情を築いた。しかし、精神的に一番辛かった時期を乗り越えると、いつしかお互いを切実に必要とはしなくなった。私が、お化粧を教えてもらう前に、互いの距離が開き、自然と連絡を取らなくなった。
そこから、数年の年月が経った頃、冒頭のメールが届いた。体調が悪いのは風の便りで知っていたが、まさか癌だとは思わなかった。私は万障繰り合わせ、彼女の告別式に参列した。
Uちゃんのお母様は、私のことを覚えていて、こうおっしゃった。「麻衣ちゃんが元気でよかった!私も、あなたのことを、ずっと心配していたのよ。今日はありがとうね」今まさに、悲しみの淵にいるお母様の思いやりの深さに、ピンと張りつめていたものが緩んだ。私はついに、声をあげて、わっと泣き出してしまった。
そのままお母様に導かれ、Uちゃんと静かな対面をした。棺の中で眠る彼女は、きれいに化粧を施され、にっこりと笑っていた。今にも「ねえ、麻衣」と呼び掛けてきそうな表情だった。
最期の言葉は、「ママ、ありがとう」という言葉だったそうだ。家族との関係性や距離感に悩み、葛藤し、それを通して、愛する喜びを知った彼女を見てきた者のひとりとして、感慨深いものがあった。
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あれから6年、私は、今ちょうど40歳だ。あの日、Uちゃんの告別式で「享年34歳」というアナウンスがあった時の衝撃は、忘れられない。目の前が真っ暗になり、頭が真っ白になった気持ちは、思い出したくないのに、鮮明によみがえる。
誕生日を迎える度に、同級生だったはずの彼女と年齢がどんどん離れていく。それは、私の胸をぎゅっと締め付けるような現実だ。将来、彼女が、白髪としわだらけになった私と天国で再会したら、どんな言葉をかけてくれるのだろう? 自分よりも年を重ねた同級生の私を、どんな表情で迎えてくれるだろう?
朝、鏡の前に座ってメイク道具を取り出すとき、ふと彼女を思い出すことがある。「私も、お化粧をしてもらうことで、自信をつけたかったなぁ」という心残りはある。けれども、今の私の周りには、違う形で、私を勇気づけ、自信を育ててくれる人たちがいる。「私は、私の人生を最期まで生き抜かねば」と、改めて身の引き締まる思いになる。
Uちゃん、私、頑張るから、天国で待っててね!
(東京教区信徒・三品麻衣)