・愛ある船旅への幻想曲 ㉓新年、イエスの喜ばれる顔に出会いたい!

クリスマスと新しい年おめでとうございます。

 いつも私の拙い文章にお付き合いくださる方々に感謝申し上げます。(なお、私の文章にあるカトリック教会、教区、小教区は、私が知っている範囲の状況ですので、全ての教会などに当てはまりません。その点にご配慮のうえ、お読みいただけますようお願いします。)

 2023年どんな年になるのかと、年の初めに、切実に思う私です。良い年になるように、と祈らずにはいられません。

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 私は、幸せなことに、男女ともに自分より若い人たちとの交流も多い。類は類を呼び、友は友を呼ぶの流れの中、特に40代、50代の未信者の現代社会で活躍している女性からの感性と意見は、私にとって学ぶことが多い。若く、強く、賢く、美しい女性と一緒にいると居心地が良い。彼女らが描く芯の通った自分の意思を持つ新しい女性像は眩しく、偏った価値観を持つ場所から、私が解放される瞬間である。

 先日、面白いことを言った40代男子がいる。彼の代母である私が、今の教会への不満を一生懸命に語っている時にだ。「〇〇さんは、そう言いながら、そうする事を楽しんでるんでしょ⁈絶対にそうでしょう。実に面白い。安心します」と、彼は満面の笑みであった。

 威厳のない代母も咄嗟に考えた。「うん?なるほどそうかも知れない」「上手いこと言うなぁ」と。若者男子の優しさは、エッセンス使いにも技がある。私を知るが故に言える彼の言葉だ。

 今、私たち信徒が持つ教会への意見は、何を言っても受け入れられない諦めを既に確信しながら、「”負け戦”に意義を見出したい」のかも知れない。「負けの中に次に繋がる何かを伝えることで、前向きに負けたい」のかも知れない。

 しらけ世代の私の男友達は、大学入学直後、『聞け、わだつみの声』を読み、たまたま戦争の時代に生を受けて、歴史のうねりに巻き込まれた高学歴の若者の死に行く苦悩と意義を受け止め、今を生きる自分の使命を熱く語っていた。国のために死んだ人たちがいたこと、彼らの死を無駄にせず、より良い国作りをせねばならないことを、私たちは知っているはずだ。価値観の違いはあるだろうが、平和への願いを受け取り、戦争は絶対にしてはならない、と肝に銘じたい。

 私たちは、教会の方針に疑問を持つ信徒の意見を受けた時には、必ず他の信徒たちを交えて意見交換の場を設け、答えを出してきた。下とか上とか、こっち側とかあっち側とか、納得のいかない教会独特の変な言い方を敢えて使わせてもらう。

 下(こっち側)の多数の意見を上(あっち側)に伝える時には、段階を踏み敬意を払ってきたつもりだ。しかし、教会を運営している”上の方々”は”下々の者”の意見は、全て文句と捉え、コミュニケーションなど取りたくはなく、「教区の言うことを聞かない信徒は要らない」と言われてしまった。ある意味で、教区指導者の本音が聞けて良かった。(かわいそうな人、とも思った)。

 このような指導者に賛同する信者たちが教区・小教区を運営している状況下では、『シノドスの道』に参加する信者が限られてくることがお分かりいただけるだろう。今のカトリック教会の組織、体制が変わらない限り、根本的な問題解決は望めない、と思っている。

 今は亡き世代の多くの信徒は、厳しさの中にも物事の良し悪しをはっきり発言され、教会を、信徒を守っていた、と感じるのは、私だけだろうか。それを窮屈に思ってきただろう、その後の世代が今、教会の中心で働かれている。二つの世代から移り変わる教会の姿を肌で感じている私たちには、厚顔無恥の人々の”美辞麗句”は通用しない。

 2023年、教会はどう変わっていくのだろう。イエスの喜ばれる顔に出会いたい。

 2004年第19回「世界青年の日」の教皇ヨハネ・パウロ2世のメッセージ…「教会とは、異なる時代と場所におけるキリストの救済活動の延長です。教会において、教会を通して、イエスは今日、ご自分を人の目に見えるものとし、人々との出会いを待ち続けておられます。あなたがたの小教区、活動、共同体において、あなたがた同士の交わりの一致を成長させるため、互いに受け入れ合ってください。教会にはしばしば人間の罪によって入り込む不透明な隔ての壁があるにもかかわらず、あなたがたの交わりの一致は、教会におけるキリストの現存の、目に見えるしるしとなるのです」。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2022年12月31日