・愛ある船旅への幻想曲⑧  『シノドスの旅』への思い

 先ずは、『シノドス』準備文書の日本語訳を“カトリックあい”で即刻、掲載されたことに心からの感謝を伝えたい。

 フランシスコ教皇の『シノドス』への思いを一日も早く知りたい信徒は沢山いると私は思う。

 コロナ禍の中、私たちは、それぞれの生活を見直す時間を与えられた。会社や学校また買い物にさえも行くことができず、人との交流関係にも変化があったのではないだろうか。

 カトリック信徒としての日常にも少なからず変化があったはずだ。

 「神との交わりがより深くなった」「イエスが側にいてくれると前よりも感じるようになった」「聖霊の働きを信じ、守られていることを改めて感じている」。

 これらは若い信徒達が最近に語ってくれた言葉だ。私は、彼らとの“交わり”から沢山の学びがある。彼らは、“みことば”から日常での気づきを自然体で話す。時にネガティブな発表から“参加者たち”は議論することもある。そんな時、相手を思い遣る言葉からは“愛”を感じる。そして、私達は共に歩んでいるんだ、と実感する。教会は、このような小さな集まりこそ大事にし、前に進まねばならない、と私は思っている。

 今回の旅は、第二バチカン公会議が提起した教会「更新」を継承している。信徒にとっても興味深く、待っていた旅だ。時は流れ、社会生活も変わる。教会生活はどうだろう。教会とは?共同体とは?のテーマで何度小教区で分かち合ったことか。小教区での分かち合いに参加する信徒も減少しているのが現状ではないだろうか。「共に旅する」ことへの障害は何であるのか。

 今回の『シノドスへの旅』について、カトリック教会が真摯に向き合い、前に進もうとするなら、自由に全ての人の声を受け入れてくれる“広き門”への設置も必要ではないか、と思う私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2021年10月5日