昨年は12月21日が冬至で、その後太陽神とも言えるイエスキリストの誕生を祝いました。古代の不敗太陽神の祝日をキリスト教が受け継いでイエスの誕生日として祝うようになったことは、よく知られていると思います。闇から光、日照時間が長くなっていく起点となる日です。陰から陽へ。一陽来復。
*聖家族の祝日
その後、12月29日は「聖家族」の祝日でした。ミサの聖書個所はサムエル記上1章20∼28節、ルカ福音書2章41∼52節。イエス、マリア、ヨセフ。これを「聖家族」と呼び、模範とするようにと言われています。理想化されてきた面もあります。
イエスは、肉の欲や人の欲によってではなく、「神によって生まれた」人です。第1朗読で出てきた預言者サムエルは、洗礼者ヨハネと同じように、長い間不妊の女であるにもかかわらず、ハンナの祈りによって神から恵まれて生まれた存在であり、それゆえ神との特別の結びつきがあり、神に捧げられる存在となったのでしょう。同様に、と言うか、それ以上にイエスもマリアという乙女から聖霊によって生まれたといわれ、特別な存在と見なされます。
マリアとヨセフは、このイエス・キリストの成長のために尽くすという献身的生き方をしたのだ、とされています。これが実際にそうだったのかは、問わないでおきましょう。
*神殿に残るイエス・・
さて、ルカの福音。イエスたち一行は過越祭の頃エルサレムに行きますが、その帰り、両親と一緒には帰らず、神殿にとどまって学者たちと話をしていた。どのような話をしていたのでしょうか。イエスには何か気懸りなことがあり、そのため両親には断りもしないまま、学者たちのところへ行ってしまったのではないか、と思います。何が気懸りで、どのような質問をしたのでしょうか。
イエス当時のユダヤ教がどのようなものだったか考えますと、律法学者と大祭司、祭司たちによって形を与えられていました。律法学者は聖書の解釈を独占し、神殿祭司、大祭司は祭儀を取り仕切っていました。人々の宗教的生活の形を作っていた、と言えます。
宗教かつ政治的にはサンヘドリン(最高法院)の71名が支配層として外国の支配者たちとも妥協しながらやっていた。それらを嫌って、砂漠に入って修道的な生活をしていたのがエッセネ派などでした。イエスの家族ほか一行がエルサレム詣でをしたのは、過越祭の時です。
*イエスが問いかけたのは何だったのだろう
イエスは昔からずっと行われてきたこと、具体的には律法のたくさんの規定を守ることや動物の犠牲を捧げたりすることを今も神は望んでいるのか、つまりこれらによってユダヤ人は神に良しとされるのかどうかについて、学者たちに尋ねていたのではないでしょうか。
モーセの時代から自分たちの先祖がどう生きてきたかを振り返ってみても、外国の神々を持ち込んで信仰したり、神の望まない行ないをしたりして、救いがたい状況にあった。それで神は預言者を遣わして、そんなことをしていてはダメだよ、律法を守りなさい、そうでないと、大きな災いに見舞われるだろう、と警告しました。
さらに、大部分の人々は律法を守っていないし、守れない、だから預言者たちは律法と祭儀はもはや無効であり、そのような礼拝を神は喜んでいない、新しいことが始まらなければ、このままではダメだろう、民の罪や過ちを担うメシアを送ってくださる、と預言されている、と聞いている。
預言者たちが、これではダメだ、と言ったことを継続している現在のユダヤ教はどうなのでしょうかと、そんなことをイエスは念頭に置いて、学者たちがこの現状をどのように捉えているのかを質問していたのではないでしょうか。要するに、「もう古い時代は去り、新しい時代、預言者エレミヤたちが言った新しい契約の時代が来るはずではないのか」という問いかけです。
当時イエスがおられて地方では、満13歳が法的な成人だった、といわれます。12歳のイエスはどのような意識を持っていたのでしょうか。現代でも幼少期に大病を患っている子は普通以上にしっかりしていて、大人びた考えをすることがあるようですから、12歳のイエスはわれわれの想像以上にしっかりした考えを持っていただろうと考えていいのかも知れません。
*少年イエスの意識は・・・
両親がイエスを探して神殿に戻ってきた時、イエスが言った言葉、「私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」は、イエスが自分もサムエルのように神に捧げられた人間ではないのだろうか、神との交わりを深めていくことが自分の務めではないのだろうかと、そういった意識というか、自覚が芽生えていたのではないでしょうか。だから「自分の父の家にいる…」のだと。
それから彼ら一家はナザレに帰ります。「両親に仕えてお暮しになった」とあります。「両親に仕えて」というのが、現代の民主主義の国に住む私たちにとっては違和感がありますが、父子の序、長幼の序を守るような習慣があったのでしょう。イエスの「両親に仕える」が、後に社会や民族を視野において「神に仕える」に移行していくのだろうと思います。
*聖家族は「模範」か?
聖家族を私たちの模範とすべき、とか言われてきました。私たちとしては、イエス・キリストへの信仰を中心として、家族のみんなを思いやりながら生活すべきだ、ということでしょうか。理想通りには行かないでしょうが、家族の間に相互の思いやりがあって、一人が過ちを犯したり欠点や病気があっても、それをカバーして共に生きる、足りないところを補い、赦し合って生きていければいいのでは、と思います。イエス・キリストを光、太陽としてあおぎながらです。
*真逆な家族もたくさんある…「アジャセの家族」の場合は
聖家族とは真逆な家族も、たくさんあります。例えば父親殺しの家族。古代ギリシャのオイディプスの家族も、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の家族も、そしてこれから紹介するアジャセの家族もそうです。イエス、マリアとヨセフという聖家族はキリスト教を開いたと言えますが、同様に、父親殺しの家族も新しい宗教を開いたのです。観無量寿経に記されている「王舎城の悲劇」がそのことを伝えています。
紀元前600年頃のインドのマガダ国の王ビンバシャラ、その王妃韋提希(イダイケ)、その王子アジャセという家族、そしてアジャセの悪友提婆達多(ダイバダッタ)の物語です。単純化して言うと、提婆達多は王子アジャセの友になり、彼をそそのかしてアジャセにとって父であり王であるビンバシャラを殺害させます。アジャセはさらに母親である韋提希夫人を牢獄に幽閉してしまいます。獄中の韋提希はこの俗世から逃れたいと思い、霊鷲山にいる世尊の教えを請い求めます。
ブッダ(世尊、釈尊)は浄土の観想方法すなわち「救われる方法」を教えます。こうして新しい浄土教という道が人類に開かれることになりました。家族の悲劇が機縁となって、新しい宗教が開かれたのです。
*親鸞聖人の言葉―心の隅々まで照らす太陽神の光
親鸞聖人は「弥陀如来の本願によって、煩悩の障りにも遮られずして、私どもの胸の奥底までも照らして下さる光明は、あらゆる煩悩の源である自力疑心の闇を破り、そして孤独な寂しい冷たい心を温めて下さる太陽であります」と述べています(『教行信証』の総序)。阿弥陀如来はアミターバ、太陽神、太陽霊です。どのように重い罪や煩悩を抱えていたとしても、我々の心の隅々にまで霊的な太陽の光は注いでくださるというのです。
そして提婆達多、アジャセ、韋提希等は、われわれと同じ悪人凡夫です。その救いのために如来の本願があり仏菩薩の働きがあります。聖家族を模範とせよ、と言うのは、一面の真理ですが、父親殺しとまではいかなくとも悪人凡夫の家族のほうが圧倒的に多いはずです。こちらに救いがないわけではありません。陰から陽へ。「陰極まって陽に転じる」です。不幸は不幸で終わるわけではない。この世界にキリスト(太陽神)が存在する限り、希望も存在しているのですから。
ところで、昨年まで「シノドスに思う」で連載をしてきました。日本のカトリック教会はどうなるのでしょうか。「シノダルな教会」にしていこうという取り組みについて考えようという兆しは、まだ見られないようです。教会に依存した信仰、教会に期待する信仰は止めるべきなのかもしれません。新年はもっと主に信頼して歩みたいと思います。
*参考*山辺習学・赤沼智善共著『教行信証講義 教行の巻』法蔵館
(西方の一司祭)