・“シノドスの道”に思う⑭ドイツの視点から・8「バチカンに抗して一般信徒を巻き込み真剣に前進しようとしているが、日本の教会は?

 前回、ドイツの「カトリックの日」は信徒主催・主体の祭典であること、ドイツという国が民主主義国になるために、カトリック市民が大きく貢献したことを述べました。「民主主義とキリスト者であることは一緒にやっていける」というZdK議長の言葉も紹介しました

 ところで教皇フランシスコの言葉「今日の民主主義は不健全です。キリスト者はもっと政治に参加して健全化に寄与すべき」(カトリック新聞7月28日付)。教会の健全化のためにも、信徒がもっと教会運営に参加できるよう、バチカンも民主化に向けて努力すべきでは、と筆者は思います。今回紹介することもそれに関係します。以下、4月頃からのドイツの司教協議会と信徒団体、そしてバチカンとのやり取りを紹介します。

 

 

*司教協議会常任委員会と信徒団体の間の信頼関係は・・

 4月末にドイツ司教協議会(DBK)の常任委員会と一般信徒団体である聖ゲオルグ・スカウト協会の間でトラブルが発生しました。スカウト協会は、規定としてDBKの承認を得た補助司祭(霊的指導のため)が必要なのですが、DBKがその候補者を拒否してしまったため、司教たちと諸信徒団体の信頼関係が損ないかねない事態となり、シノドス委員会にも影響を与えることになったようです。

 シノドス委員会は、ドイツ・カトリック者中央委員会(ZdK)と司教たちが共同でドイツのカトリック教会の今後のことを共に協議し決めていこうとするものです。しかし、今回の司教たちの「拒否」は、諸信徒団体の批判的な行動に対するリアクションだという判断を、ZdKは下しているのです。

 

 

*ZdKの司教たちに向けた疑問と批判

 上記の事態に直面して、ZdKは次のように批判しています。

 ①上記のような決定をDBKの常任委員会がしたことは、シノドス委員会における建設的で信頼関係の中でなされるべき協働に著しく異議を唱えるものである。カトリック教会やその組織、その指導者たちと教えのレベルに向けられる批判的疑問は、シノドス委員会で議論の対象となるべきである。教会信徒団体の批判的行動を通してのみ、カトリック教会は自らを根本的に改革しようとするのだから、このような議論を恐れてはならない。

 ②常任委員会が先の決定をしたことで、司教たちは「シノドスの道」が決定したことをどれだけ尊重しているのだろうか。それらを自分たちに課せられたものとして受け止めているのだろう
か、疑わしい。それら決定事項を司教たちが具体的な行動に限られた範囲でのみ実行するのではないか、あるいは実行の妨害すらするのではないかと危惧される。

 ③それゆえ、DBKは信徒の間で失った信頼の回復をする責任がある。

 以上に加え、幾つかの質問を二回目のシノドス委員会で真っ先に司教たちに付きつけました―スカウト協会の補助司祭の候補者を司教たちが拒否したことに見られる透明性と説明責任を欠いたやり方を続けるつもりなら、どうして「シノドスの道」で信頼関係の中で共働できるのか? 司教たちは「シノドスの道」の諸決定をどのように、またいつ自分たちの教区で実行するつもりなのか?司教たちはシノドス委員会にどのように貢献してくれるのか? 司教たちはバチカンの保留や反対にどう対処するつもりなのか?―などです。このように、透明性と説明責任を求めて信徒団体が司教たちに発言できるのは素晴らしい、と思います。日本の教会ではどうでしょう?

 

 

*シノドス委員会を昨年11月、今年6月に開催

 シノドス委員会の初会合は昨年11月にエッセンで開かれましたが、マインツでの二回目の会合は64名の参加者で開かれれました。「『シノダル(共働的)な教会』であるとは、どういう意味か?」という問いがテーマとなり、最終的に3つのコミッション(委員会)を作ることが決まりました。

 一つ目の委員会は、「構造的原理としてのシノダリティとは何か」を深めること、そしてシノドス評議会のあり得る規律・規則を議論すること、が仕事です。

 二つ目の委員会は、これまでのドイツの教会の「シノドスの道」での諸決定が実行されているかの評価と監視。

 三つ目の第三委員会は、ドイツの教会の「シノドスの道」を今後発展させるためにどう導いていくか、を考えるのが仕事です。

 DBKのベッティングは「具体的な変化を見えるようにすることが重要だ。現地の教会の行動が変化していることを人々は見ることができなければならない」と。ZdK議長も「我々の教会における構造的な変化への責任を我々は持たなければならない」と前向きです。

 

 

*6月に開かれた司教たちとバチカンの担当者との会談の中身は

 教皇フランシスコの意向に従って、ドイツ司教団の代表とバチカンの代表それぞれ6名が、丸一日の会議をしました。以下、聖座とドイツ司教協議会の共同声明を紹介します。

 両者の会談は2022年11月のアドリミナの時に始まり、2023年7月に意見交換がなされ、2024年3月22日になされたことの続きとして、前もって予定されていたことでした。日本のカトリック新聞(7月21日付)が書いている「ドイツ司教団の代表はバチカンに呼び出され」ではありません。この会談は先回の合意(取り決め)に基づいてなされ、ドイツの教会におけるシノダリティの実践を具体的にどう形作っていくかについて、第二バチカン公会議の教会論と教会法の規定と世界シノドスの成果と一致させながら考えるという内容でした。具体的には以下の通りです。

 【ドイツのシノドス委員会についての報告】

 この会議ではまず、6月15日のシノドス委員会での協議内容がドイツ側から報告されました。全国的なシノダルな団体を法的にも可能なものとして設立するための神学的基盤と可能性について、
また司教職の行使と全信徒の共同責任の促進との関係について、シノダリティをどう具体化できるかという観点から議論されたことをバチカン側に伝えました。効果的な福音化に向けてシノダリティの実践へ向けて進んでいることを分かち合ったのです。

 【バチカンの介入】

 次に、シノドス委員会Ausschussによって設立される委員会Kommissionはシノダリティをどう考えるかという問題と、「シノドス審議会Gremiun)」の仕組みをどうするか、という問題に取り組むことになりました。そしてこの「シノドス審議会」の構想については、先の委員会が「権限を持つバチカン省庁の代表者によって構成される委員会Kommission」とコンタクトを取りながら、なされることになりました。つまり、ドイツ側の委員会とバチカン側の委員会が共同で「シノドス審議会」を考えていく、というのです。

 ここで振り返ってみますと、シノドス委員会とは、2026年までにシノドス評議会Ratを設立するための一時的な作業集団でした。シノドス評議会とは司教協議会と信徒団体ZdKから選ばれた人たちがドイツの教会の全国的な方向・運営を考えていくものとして構想されていました。司教と信徒団体の共同統治を目指していたのです。

 ところが、今回のバチカンとの会談後の共同声明では、明言はしていませんが、明らかにバチカン側の要求でしょう、今後のドイツのあり方に「バチカン側の委員会Kommissionも一緒になって協議していく」ということです。従って、これまでドイツ側が構想していたシノドス評議会Ratと、今後進められていくシノドス審議会Gremiumとは、違ったものになると思われます。

 【バチカンは2つの変更を求めてきた】

 バチカンは2つの変更を求めてきました。一つは名称の変更です。先ほど述べたように、シノドス評議会Ratはシノドス審議会Gremiumに変更されました。ただし、正式名称はまだ決まってはいません。もう一つはこのシノドス審議会の地位は、「司教協議会の上でも同等でもない」ということです。シノダリティ(共働性)は、司教たちの下で構想・実践されていくということでしょう。「信徒と司教の共同統治は許さない」という形。しかも上述したようにドイツ側の委員会とバチカン側の委員会の二つが「共同で協議し、構想していく」ということです。

 特に名称変更は実質の大きな変更です。恐らく、ドイツ側の委員会に司教と信徒たち、すなわちZdKの代表やシノドス集会から選ばれた人がメンバーとなるだろうと思われます。ドイツの「シノドスの道」は大きな転換を迫られることになった、と言えるでしょう。

*似たようなことはフランスでも起きている

 実は、バチカンはこれに近いことをフランスの司教団にも要求したようです。カトリックメディア「ザ・ピラー」3月23日付けによると、フランスの司教協議会が昨年11月、バチカンに新しい司教協議会の規約を提出し承認するよう求めたところ、「司教協議会の新規の仕組みにおいては、司教の団体的責任をもっと明白に強調するように」と指示された、ということです。そして、「バチカンはドイツが司教と信徒の共同の審議団体を作ろうとしている計画を念頭に置いて、このような要求をしてきた。バチカンは司教の責任性が曖昧にされるのを恐れている」と解説しています。

 

 

*バチカンに送られたドイツ司教団の報告書と日本の司教団の報告書との違いは

 このコラム「シノドスの道に思う➉」で申し上げたように、世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会・第一会期の総括文書がバチカンの事務局から出された後、ドイツ司教協議会は、国内の各司教区とカトリック諸団体に3月末日までに「省察報告書」を提出するよう求め、それを要約した文書をバチカンのシノドス事務局に5月22日付で送りました。

 それによると、各教区が具体的に信徒を巻き込んでシノダル(共働的)な動き、つまり全員参加を求めて対話をし、互いの意見を聞き、シノダルな仕組みや委員会の設置などが進んだ。そうした中で「神は教会に何をするように求めているのか」という問いを草の根レベルで意識するようになった、としています。

 またこのコラム「シノドスの道に思う⑨」で紹介したビュルツブルク共同シノドス(多くの信徒や修道者も参加して、共同責任で審議していこうとした画期的な教会会議)の精神を思い出しながら、皆が参加する構造を作る努力や、場合によっては共同審議だけでなく決定も共同でするなど、具体的な取り組みを進めています。

 ある司教区では「教区協議会は(司教、司祭、修道者、一般信徒)全員が意見を出せるように民主的でオープンかつ公平な雰囲気」でなされ。「聖霊における会話」という手法も使いながら、教区の中の困難な問題をどう解決していくかについて、具体的な話し合いを進めている、ということです。また、別の教区では「いわゆる同意メソッド」で、一つの解決策だけを取り上げるのではなく「反対するのも自由」のやり方で、深刻な意見対立も最終的に一致をみるような努力をしている、といいます。

 それに対して、日本の教会はどうでしょう。報告書「シノドス的教会を目指して日本のカトリック教会の挑戦」が出されましたが、具体的な”実績”と言えるのは、”シノドスの道”を歩む方法にすぎない「霊における会話」を一部の人が”実践”したことだけのように読み取れます。定義もはっきりしない「霊における対話」のほかは、どうなっているのでしょうか。「透明性」も「説明責任」を果たすことから程遠く、「挑戦」という言葉だけが空しく響きます。

*ドイツ司教協議会www.dbk.de ドイツカトリック者中央委員会www.zdk.de 聖ゲオルグ・スカウト協会 https://dpsg.de/en/die-dpsg  カトリック系メディア The pillar
(西方の一司祭)

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2024年7月31日