・”シノドスの道”に思う⑬「ドイツの視点から考える」⑦「カトリケンターク(カトリック の日)」は平和を求める人々が共に歩む場

*カトリック新聞の記事「教皇、ドイツの信者に貧しい人を擁護する召命を説く」に違和感

 

 6月23日付けのこの記事は、「教皇がドイツの信者、特に若い信者に向けて貧しく阻害されている人を擁護するように」と説いたことになっています。それもドイツの「カトリケンターク(カトリックの日)」に向けてのメッセージでそのように語った、というのです。しかし、このメッセージ原文を読むと、この記事の書き方は違和感を禁じ得ないものでした。

 その理由の第一は、「カトリケンターク」は「信者による信者のためのもの」であって、教皇の意向を実施することを目的とはしていない。「平和な人には未来がある」というテーマは主催者が考えたものであって、教皇が出してきたものではない、ということ。第二に、「カトリケンターク」の主催者は、このコラムでも触れてきた信徒団体「ドイツカトリック者中央委員会ZdK」であって、教皇や司教の指揮・指導でなされるものではないこと。第三に、「カトリケンターク」はカトリック信仰を中心とした祭典であり、内容は講演、対話集会、討議集会、ミサなどであって、単なる「代表者会議」ではないこと。そして第四に、この記事が、ドイツの信者がこの数日間で何をしようとしているのかを微塵も伝えていないことです。教皇メッセージは、カトリケンタークの参加者をねぎらう挨拶にすぎないのです。

*「カトリケンターク」ができた背景・・・民主主義の芽生え

 

 フランス革命とナポレオンの登場以後、ドイツは「ドイツ連邦」という多くの王国や公国そして自由都市(それらを「邦国」という)からなる連邦国家になりました。1848年3月、フランス・パリの二月革命の影響を受けて、ドイツ各地でも市民、都市下層民、農民の蜂起によって三月革命が起きます。自由主義、身分的特権の廃止、出版の自由、議会の設立など「下から」の要求がなされます。各邦国で選挙が行なわれ、5月に650名の議員がフランクフルトのパウロ教会に集まります。

 これがドイツ史上最初の国民議会でした。民主主義の始まりです。フランクフルト議会にはカトリック者の1142件の嘆願と27万3000名の署名が提出され、10月3日からの4日間、「カトリケンターク」の起源となるカトリック市民の諸団体の総集会がマインツで開催されました。 カトリック教会と政府の関係向上のために。「カトリケンターク」の誕生は、信徒によるものであり、ドイツにおける民主主義の始まりの一部なのです。

*信者の自主運営の「カトリケンターク」・・・民の声

先に述べたように、「カトリケンターク」は、もともと、カトリック信仰を持った人々の諸団体、「宗教的自由を求める敬虔な団体」という名称であったとも言われ、彼らによって組織されて始まったもので、従って175年の歴史があります。最初は一般信徒のみのイベントであり、司教たちは除外されていました。そしてこの団体が変遷しながら現在の「ドイツカトリック者中央委員会ZdK」となっていきました。

 当時ローマ教皇はピウス9世(在位1846~1878年)で反近代主義、科学の否定、そして第一バチカン公会議(1869~1870年)で教皇の無謬を宣言しました。これに反対する自由主義者も当然、いました。

 先述した革命後、ドイツ帝国となり、宰相ビスマルクは帝国の統一事業に批判的なカトリック勢力(南ドイツ・バイエルン州等)を弾圧します。「文化闘争」と呼ばれます。しかしカトリック市民は政治的には中央党を結成し、ローマ教皇とのつながりも保っていきます。「カトリケンターク」の中心にあるのは、信仰を生きる人間の自由、人間の権利、責任ある市民の自覚といった民主主義への傾きでした。その中には、カトリックの社会教説の父であるオズワルド・フォン・ネルブロイニング(1890~1991年、神学者、社会学者)もおり、共通善、団結と補完性などの原理を説き、後のピウス11世教皇の回勅「クアドラジェシモ・アンノ」の草稿を書いています。

*前回2022年のシュツットガルトでの「カトリケンターク」について

「カトリケンターク」は隔年で、いろんな都市が持ち回りで開催されています。前回は2022年、「命を分かち合う」というテーマで、5日間シュツットガルトで開かれました。主催者、組織者たちは2万人の参加者を想定していましたが、最後の大イベントには約8万人が参加。教会問題だけでなく社会や政治問題についても、専門家を交えて話し合ったり議論したり、また信仰と文化を共に祝ったりしました。現実のドイツ社会や世界の発展に対する時代の潮流やビジョン、そして課題などを、分かち合ったようです。1500のイベント、パネルディスカッション、ワークショップ、文化的活動などが自主的に準備され、実行されていきました。主にカトリックの市民社会からのものですが、エキュメニカルな友人たちや諸専門家、シンクタンク、政党からのものもありました。

*今回はエアフルトで、テーマは「平和な人には未来がある」

今回のテーマは「平和な人には未来がある」でした。極右政党が躍進しウクライナ危機を抱えているドイツにおいて、ZdKは信徒団体として、「戦時における平和倫理」という立場で防衛政策のガイドラインを発行しました。防衛の権利と非暴力の命令の間の緊張の中で、どう生きるか考えているのです。

 「国際法の枠内での自己防衛、最後の手段としての武力、グローバルな正義なしに平和はない」「自由のない平和はない」「多国間での平和秩序、手段としての宗教間対話」などのテーマで思考を重ね、「平和な世界は個人から、平和の人から始まること」「人間の尊厳、平和と自由と正義を訴えていくこと」。そういったところからZdKの総会で、このテーマが決まったようです。もちろん聖書を分かち合う集会もありました。

*エキュメニカルな方向へ

今回はこれまで以上に、ドイツにおけるエキュメニカルな現状を反映したものが多かったようです。ワークショップ、パネル、礼拝など150余りのイベントが主催されました。

 昔は「領主の宗教が、その地の宗教」という原則もあり、他宗派との結婚もそんなに多くはなかったのでしょうが、今はカトリックもプロテスタントも混在しており、彼らは婚姻によって一緒に生活しているので、エキュメニカルな視点なしにキリスト教を考えることはできなくなっています。開催地となったエアフルトは、”カトリックの街”である以上に”プロテスタントの街”であり、その意味でも共に祝い、教会と社会と民主主義の未来を共に考えようという意識が強く働いたのだと思います。

*1989年の平和革命:東西ドイツの統一

第二次世界大戦後の東西分割で、エアフルトは東ドイツ領内に入れられました。自由、民主主義、人権を求める人々が西ドイツに逃れていくのを阻止するため、1961年から東ドイツ政権によるベルリンの壁の建設が始まります。1978年からは軍事教育が始められ、これを機に、エアフルトのカトリックの聖ロレンツ教会、プロテスタントの説教者教会Predigerkircheで平和を求めるエキュメニカルな祈りが捧げられるようになったそうです。

 それ以来、祈りが木曜日毎になされるようになり、1989年9月、ライプツィヒのニコライ教会での平和の祈りが「月曜デモ」となり、それに呼応してエアフルトで「木曜デモ」が起き、11月にベルリンの壁の崩壊、1990年10月の東西ドイツ統一と進んでいきました。両教会の信者そして市民たちによって平和裏になされた「平和革命」が、その端緒となったのです。

*フランシスコ教皇のメッセージに戻ると・・・

教皇が「カトリケンターク」に向けて出されたメッセージに戻りましょう。その最後のほうの一節を抄訳します。

 「『カトリケンターク』はエキュメニカルで、共に歩んで宗教間対話をする場であることは、素晴らしいことであり、重要なことです。なぜなら『平和な未来を築こう』という善意を持ったすべての人と一緒に協働することが必要だからです。平和の人々が手に手にロウソクを持って平和革命を引き起こした1989年の体験は、共通するキリスト者の力強い証しでした。ここエアフルトで平和のための祈りが聖ロレンツ教会とプロテスタントの説教者教会で起こりました。人々の祈りによって引き起こされたこの平和に満ちた<変革の奇跡>は、祈りが何をもたらしてくれるのかを私たちに示しています。このことを記念することは、今日の私たちを励ましてくれます!」

教皇のこのメッセージはドイツの歴史を踏まえた内容で、ドイツ人の心に響いたと思います。教皇が本心でこのメッセージを送ったのなら、自由民主主義の意義も、そしてご自分で発言された「逆さピラミッド」型の教会になるべきことも、もっと強調されていいのではないでしょうか。

*民主主義とキリスト者であることは一緒にやっていける

 エアフルトでの5日間にわたる「カトリケンターク」は約2万3000人の参加がありました。終了後の6月2日に、主催者であるZdKの議長の感想の一部を紹介します。

 「民主主義の危機の中で「カトリケンターク」は立ち上がり、国際紛争において平和を選択し、教会改革への意志を強めました。<他者のための教会>になっていくこと。制度的な教会に属していない多くの人々のためにも、私たちは開かれていなければならない。彼らは私たちにとって福音であり、神は彼らを通して私たちに語っている、だから新しい方法で福音を理解しようと努めよう。エアフルトでのカトリケンタークはエキュメニカルな『カトリケンターク』であった。プロテスタントの兄弟姉妹、他の宗派の友人、ユダヤ教徒とイスラム教徒、神を信じる人、世俗の人。皆が共に生きる。民主主義と自由の公的空間は、キリスト者の空間でもある。民主主義とキリスト者であることは一緒にやっていけるのだ」

*「カトリケンターク」が示唆するものは・・・

 このように、「カトリケンターク」の始まりから今日に至るまで続いている精神は「民主主義への傾向」と言えます。2022年のドイツ・シノドスの基本文書に「民主主義は国家統治の形式であるだけでなく、生活の道である」とありました。ドイツのカトリック市民の175年間の歩みが、キリスト信仰と民主主義的方向に進んできたことは、今後の教会がどうならなければならないかを示唆しています。

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 *2022年現在のエアフルト司教区のカトリック人口は13万7272人で全人口の5~9%程度。司祭数は33人。年間の受洗者は870人、初聖体は960人、堅信948人、結婚式は204件、葬儀1323件で、教会を離れた人は2413人に上っています。

 *今回の教皇メッセージは聖座のサイト、ドイツ司教協議会やドイツカトリック者中央委員会のホームページで見ることができます。ドイツ司教協議会www.dbk.de ドイツカトリック者中央委員会www.zdk.de

 *参考文献=坂井栄八郎『ドイツ史10講』岩波書店、石田勇治編著『図説ドイツの歴史』河出書房新社

(西方の一司祭)

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2024年6月29日