5月28日に私たちは「聖霊降臨の主日」を祝いました。主イエスは天に昇られる前に、聖霊がその後に降臨して使徒たちに力を与える、と告げられました。それが「使徒たちが聖霊によって洗礼を受けた」(使徒言行録1章5節)日であり、主イエスが選ばれた「岩」である使徒ペトロの上に建てられた御自分の教会(マタイ福音書16章18節)が誕生した日でした。
聖霊降臨のミサ典礼の中で特に印象的な中世のお祈りのひとつ、「Veni Sancte Spiritus(聖霊来てください)」が含まれています。この「聖霊の続唱」という聖霊へのお祈りは、少なくとも13世紀に遡り、それ以来、聖霊降臨の祭日のミサ典礼で使用されてきた、と言われています。
私は昔から、このお祈り(続唱)が大好きです。生まれ育ったシンガポールの教会では、原曲のグレゴリオ聖歌旋律でその英語版(”Come Holy Spirit”)が歌われていました。日本に来てから
日本語版の「聖霊来てください」も好きになりました。原曲のままではなく、グレゴリオ聖歌旋律と日本独特の旋律を足して割ったようなメロディーで、グレゴリオ聖歌と似たような聖なる祈りの雰囲気が伝わっているのが好きです(音楽専門家ではないので、あくまでも個人的な感想です)。
とは言え、この聖霊への祈りで最も素晴らしいと思うのは、歌われる旋律ではなく、祈りの言葉そのものが心に響くことです。どちらかと言うと、聖霊のことを教えてくれているからです。この祈りを通して、次第に聖霊のことや働きを少しずつ、より一層知り、より信頼することを学ぶことができると思います。
「聖霊来てください。/あなたの光の輝きで/私たちを照らしてください」
聖パウロはコリントの信徒への第一の手紙(2章)の中で、「聖霊の賜物には理解力と知恵が含まれる」と教えています。私たちは、聖霊の降臨を呼びかけ、その光をもたらし、私たちが霊的なものをより明確に見て、理解できるようにしてくださるよう、神聖な光を照らしてくださることを求めます。
「やさしい心の友、/さわやかな憩い、/揺らぐことのないよりどころ」
聖パウロはローマの信徒への手紙の中で、私たちが神を呼び求め、神を切に待ち望むのは、聖霊が、私たちが神の子どもであることを、私たちの霊と一緒に証ししてくださっているからだ、と書いています(8章16節)。聖霊が私たちと共におられます。聖霊の存在を感じるとき、私たちは神の栄光を、たとえほんの一瞬でも垣間見ることができるのだ、と思います。そして、何の慰めもなかったのに、慰めを見出すことができることは、なんというさわやかな憩いでしょう。
「恵みあふれる光、/信じる者の心を満たす光よ」
使徒言行録の中では、「私たちは神の中に生き、動き、存在している」と聖パウロが言っています(17章28節)。聖霊は私たちを満たしてくださり、聖霊がなければ私たちの心は空しいです。
「Veni Sancte Spiritus(聖霊来てください)」の祈りは、私と共におられる聖霊への理解を新たにし、聖霊の力と助けを呼び求めることを思い出させてくれます。
典礼聖歌352番「聖霊の続唱」(https://youtu.be/XyPsS-Pak0Y)
聖霊来てください。あなたの光の輝きで、
私たちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、揺らぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵みあふれる光、信じる者の心を満たす光よ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えて行き、
誰も清く生きては行けない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手を癒す方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたの言葉を信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたは私の支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。アレルヤ
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)