・カトリック精神を広める⑯ 聖人の奇跡について ―聖ドン・ボスコの場合

 今回は、サレジオ会の創始者聖ドン・ボスコの名高い奇跡を紹介したい。

   ドン・ボスコは、モンテマーニョというぶどうの産地の村に、8月15日の聖母マリアの被昇天祭(聖母が生きたまま天に昇られたとの信仰に基づく記念日)の前の3日間の黙想会に招かれ説教をしていた。この村ではもう3か月も雨が降らず、農家は困り果てていた。そこで、説教の最後に「皆さんが全員、この3日間の間に、赦しの秘蹟、告解をして、被昇天の日に全員、聖体拝領をするなら、その日に雨が降ることをお約束しましょう」と。驚いたのは、黙想会に招いた主任司祭である。

 「ドン・ボスコ、困りますよ、そんな約束をされては。降らなかったらどうしますか?」。ドン・ボスコは「大丈夫ですよ!」と一言。そんな会話をしていたということを知らない村の人々は、ドン・ボスコの言葉に従い、全員告解をして、15日の被昇天祭を迎えた。その日は朝からカンカン照りで、夕のミサまでに雨が降りそうにはまるで見えなかった。しかし、夕方になって、ボスコが祭服を着て、説教台に上ろうとしたとき、太陽が陰り始め、説教をはじめて数分で土砂降りの雨が降り出した。同じ3日の間、司祭の忠告を聞かずに飲めや歌えのお祭りをしていた隣り村では、雹が降ったというが、この村では降らなかった。

  思うに、ドン・ボスコが、雨を約束したのは、説教をしている最中に、神様からの天啓、インスピレーションを得たのではないだろうか。それで確信して雨の約束をしたと思われる。凡人と聖人の違いである。

  筆者の身近にも、聖人にふさわしい神父様がいた。2018年6月20日、享年87歳で亡くなられた、聖アウグスチノ修道会司祭、アルフレッド・バーク(Alfred Burke)神父様である。彼は、アメリカシカゴ出身の宣教師で、長く神奈川の大船教会や戸塚教会などで主任司祭を務めておられた。筆者の連れ合いは、彼に告解をしているときに、「長く子供が生まれないんです」と相談したことがある。神父様は「大丈夫ですよ。お祈りしておきますから」と答えられ、それから2年後に子供を授かった。

 また、ある知り合いのご夫婦は、当時、主任司祭を務めていた山手教会で、神父様の指導のもと、結婚式を挙げたが、彼らは異口同音「バーク神父様は聖人です」と事もなげに、はっきりと言っていた。また、ある時は、タイの教会で知り合った信者同士で食事会があり、バーク神父様を誘うということになったが、神父様は一言、「布教の機会になりますか」とお聞きになり、「なりません」と答えると、申し出をお受けにならなかった。他のグループも同様。つとに清貧の誉れ高い方だった。また、神父様は長い間、刑務所への慰問司祭を務められ、国から表彰されてもいる。

  現在、確実に天国におられ、神様への取りなしをして下さり、崇敬の対象となるところの「聖人」の位に上げて欲しい場合、我々はどうすれば良いか。自身が所属する教会の主任司祭に相談して、司教様に「調査委員会」を作るようお願いすることから始まる。司教様が承諾し、その国の枢機卿の承認を得れば、ローマ法王に正式な「調査員会」を作るようお願いすることになる。こうして調査委員会が作られ、聖人にふさわしいかどうかが調べられる。

  聖人になるためには、2つの奇跡が必要である。ここで活躍するのが漫画でも有名になった、悪魔の代弁者とも言われる「バチカン奇跡調査官」だ。真実の奇跡なのか、まやかしなのかを調査する。

  現在、聖人にふさわしいとして調査されている方々としては、筆者が知るところでは、江戸時代のキリシタン大名高山右近、サレジオ会の重鎮だったチマッティ神父、蟻の町で有名なゼノ神父や蟻の町のマリア北原 怜子(きたはら さとこ)氏などがおられる。

横浜教区信徒 森川海守(ホームページ https://mori27.com

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2025年3月31日