・ある主任司祭の回想・迷想 ④「聖霊降臨の主日」にー「以心伝心」をもたらす聖霊の働き

 皆さんは「以心伝心」という言葉の由来を知っておられますか。「心を以って心を伝える」という意味ですが、これは実は仏教用語です。

 言い伝えによれば、大勢の弟子たちの前でお釈迦様が教えを説いていた時のこと、その場にいた弟子の一人が、お釈迦様(仏陀)の心を即座に読み取った、というエピソードが、「以心伝心」という言葉の由来だそうです。

 釈尊が説教の最中に、小さな花を手にとって微笑んだが、それを見ていたその弟子は、釈尊の心を見抜いて一緒に微笑んだ、というのです。相手が何を思っているかを、言葉を使わずに知ったわけです。言葉を超えたコミュニケーションというのか、話す前から相手の言いたいことが分かるという、その意味で「以心伝心」は、まるでテレパシーと読心術のような、そんな現象です。しかし、そこまで大袈裟でなくても、私たちも普段、ふとしたことから、相手も気持ちが無言のうちに伝わってくるような経験を、多かれ少なかれしているはずです。

 私が床屋さんに行った時のこと。散髪が終わって料金をお支払いしようと思ったら、「いや神父様、結構ですよ」とおっしゃって、更には頂き物まで受け取らせていただき、すっかり恐縮してしまいました。

 長崎出身のその床屋さんが私にくださったものとは、いったい、何だったと思いますか。その時の様子はこのようでありました。

 ご主人「おい、神父様に『あれ』持ってきな」 おかみさん「えっ、あんた『あれ』ってなにさ」 ご主人「そりゃ『あれ』に決まってんだろ」おかみさん「あっ、『あれ』かい。はい『これ』、ここおいとくよ」 ご主人「神父様、『これ』どうぞ」 加藤「これは何ですか」 ご主人「ええ、『これ』は『あれ』です」 加藤「ですから『あれ』ってなんですか」 ご主人「ええ、『それ』はほら『あれ』です」。

 すごいでしょう。「あれ」「これ」「それ」、指示代名詞だけで会話が成立してしまうんです。ご夫婦ともに、これまで様々な苦労を共にしてこられた方なので、もう、こういうときは言葉は要らないのでしょう。まさに「以心伝心」ですね。

 ところで、いただいた「あれ」と呼ばれる品物は、何だったのか、皆さんお分かりになりますか。長崎出身の信者さんがくださった黄色い袋に入った長方形の甘い「あれ」です。是非「以心伝心」で当ててみてください。

 さて、復活節最後の日である5月31日は「聖霊降臨の主日(祭日)」です。復活者キリストは天に昇り(使徒1:6-11)、その10日後に聖霊が降ります。イエスを信じる人たちは、当時、既にいろいろな文化圏に広がっていて、最初は限定的なユダヤ人社会だけであったかもしませんが、地中海沿岸に、キリスト教はあっという間に広がります。ユダヤ人たちも「ディアスポラ」と呼ばれる各地に離散した人たちが沢山いました。

 だから当然お互いの国の言葉は分かりません。人々はペトロの話を聞こうしますが、外国から来た人たちには言葉が分からない。しかし、奇跡が起きました(使徒言行録2章1-15節)。その場にいた皆が皆、自国語で話しながら互いに会話が成立してしまったのです。

 そのことは、聖霊の働き、と言ってしまえばそれまででしょうし、世界中で一つの言葉が通じていたとされる「バベルの塔ができる前の、全ての人が互い理解し合えた時代」の説話に基づいてこれが起きた、という見方は、もっともなのかも知れません(創世記11章1-8節)。

 しかし、私は思います。聖霊の働きは「以心伝心」をもたらすのではないかと。そこで私は、次のように祈りたいと思いました。

 (聖霊を求める祈り)「聖霊来てください。言葉を超えたコミュニケーションへと私たちを導いてください。私はかつて外国人が多い教会で働きましたが、彼らとは言葉は通じなくても、気持ちは通じていました。しかし、同じ日本語を使う者同士でも互いに理解し合うのは難しいことです。どうかあなたの力で、日本語を使う者同士が、調和を心がけて、歩んでいくことができますように。アーメン」

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2020年5月31日