・「愛ある船旅への幻想曲」(63) 欧州のカトリックの友人たちとの対話で知る教会の昔と今、そして”時代錯誤”の日本の一部聖職者

  今年も、日本では、ゴールデンウィークが終われば各学校も職場も落ち着き、新年度の本格的なスタートが切られることだろう。教会も然りであろう。

 私の孫二人も高校と大学に入学した。この二人は各々、入学式前から新しい環境に入り、新しい友を得たようだ。自分で見極めながら良き環境の中、かけがえのない青春時代を送って欲しい。大学三年生の孫は日々課題に追われ、休日はひたすら寝ているようだ。彼は、二人の弟の生活を羨ましげにしながらも、マイペースである。まさしく三者三様の学生生活だ。そして、これがごく普通の日本の若者の姿、と納得する私である。

 「フランスやアメリカでは、若者のカトリック信者が増えている」との記事を見た。母国から日本に帰って来たフランス人の友人からも、その記事が正しいことを確認できた。

 以前、「フランスの教会が変わってしまった」と嘆いていた彼だが、今は熱心なカトリック信徒として、この現状に喜んでいるようだ。彼と私の教会への思いは全く同じだが、信仰の姿勢は違う。私には経験することができない、できなかった「生まれ持ってのカトリックの信仰心」を持つ彼から得る知識は、新鮮だ。穏やかに正論を語る彼に、真のカトリック信者の姿を見る。

 ポルトガルから日本に帰って来たポルトガル人の友人とも、「教会」について話し合った。彼女と私の教会への思い、そして信仰の姿勢は全く同じだ。もちろん、彼女は生まれてすぐの信者である。「昔と今の状態は違う」と彼女は言う。自分の考えを論理的に語り、決して感情に流されることのない強い女性の姿である。昔は、彼女の国でも、信徒は義務的に教会に行き、意見など言える状態ではなかったことを改めて知る。

 それぞれの信仰だ。国、男女の違いは今も、カトリック教会では大きな課題である。ただ、私にとっては欧州の友達との教会についての話は、日本人信徒よりスムーズに分かち合える。成人洗礼の日本人の私が知らないカトリック国の過去の教会事情を知り、今も変わらぬ一部の日本の聖職者に見る振る舞いに、改めて時代錯誤を感じる。

 何事も経験者の正直な話を聞く事が必要だ。そして、今の社会から取り残されない感覚を持つことが、宗教にも必要だろう。「神の思い、イエスの真実は何か?」—永遠の課題である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2026年4月30日